お得きっぷで行く旅

お得なきっぷを使用した旅行記中心 

キハ391系(ガスタービン動車)誕生秘話

 

 皆さんは以下の写真の車両をご存知でしょうか?

f:id:lifeisjourney-k-s:20180102224231j:plain

(『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 表紙)

 

全面はキハ80形やキハ181形に似ているがどうやら後方の様子が違う。2両なのか3両なのか?わからない。最初は変わったデザインの車両だなぁと流していたのだが、何回か目にするうちに、何か気になってきた。個人的には恐怖すら感じる奇抜なデザインだと思う。何か闇が深そうと思ったので少しこの車両について調べてみることにした。

 

 

はじめに

当時の(1960年台後半~1970年代初頭)我が国の経済の高度成長に伴い、旅客列車のスピードアップは利用者の欲求にかなうものであり、一日行動圏の拡大は更に需要増大を招くこととなり、国民経済的にも国鉄の経営上からもきわめて重要な課題となっていた。

1960年代のわが国の目覚しい発展は、 また一面で、地域格差の拡大や公害問題の深刻化など社会的ひずみを引き起したことも事実であり、このような格差の解消や過疎対策などが検討されるにつれて、改めて交通機関の役割が再認識され、新たに各交通機関の特色を盛込んで、全国を総合的かつ普遍的に調整しようとする総合交通体系の確立が急がれていた。

国鉄は、 さきに4,500 kmに及ぶ全国新幹線網の構想を発表したが、これが礎石となって1970年全国新幹線鉄道整備法が制定され、昨年後には東北·上越·成田の3新幹線が着工されていた(当時)。さらに1972年3月15日には新大阪-岡山間が開業し、博多への延長線も49年秋開通を目標に建設が進められていた。

このように、新幹線網が整備された時点では、これと地方主要都市を結ぶ亜幹線などは当然現行速度のままで放置できないが,、これらの線区の多くが非電化線であり、しかも山岳地帯を通るため急こう配と急曲線が多いのが通例である。そこで、その高速化は曲線通過速度の向上のいかんにかかっているといっても過言ではなかった。

この問題に対して、国鉄は昭和43年に振子支持と横圧軽減装置の2つの新しい試作要素を持たせた曲線通過高速台車 R96を製作して試験を行ない、その結果を確認して45年に試験用電車クモハ591形を試作、東北本線で走行試験を行なってきたこの車両はその後一部の改良を行ない、引続き鹿児島本線で各種試験が行なわれていた。

このような状況のもとに、高速運転用ガスタービン気動車の開発は進められ、国鉄は1972年3月25日大宮工場でガスタービン動車キハ391形3両ユニット試作1編成を完成し、早速川越線で公開試運転を行ない、所期の成績を得た。

 

391形製作の基本的考え方

一般にスピードアップ・到達時間の短縮といっても、これを実現するためにはいろいろな制約がある。速く走るためだけなら、車両の動力装置をパワーアップすればよいが、それだけでは実現不可能であり走行装置の安全性を高め、乗心地もスピードアップ以前と同等か、それ以上に優れたものとしなければならない。また、 ブレーキ性能の向上も必要であり、早く走れば走るほどブレーキ率を高めて、規定の距離で停止重または減速させることが必要となる車両ばかりではなく軌道も強化せねばならない。特に曲線部は速度が高いほど車両から受ける影響は大きいので高速化のためには曲線半径や分岐器の構造まで変更しなければならないこともある。

さらに、信号機の間隔や表示方式も変えることもあるし、線路容量が不足している場合には、待避線の新設や線増すら行なわなければならない。いずれにしても,多額の資金を必要とするもので、いかに少ない経費で実現するかは、技術の開発とくに車両性能の向上いかんにかかっているといえる状況であった。

さて、スピードアップの要求される非電化区間では、軌道構造もどちらかというと弱い部類のものが多く、曲線部の速度向上は,横圧の増大、その他によって軌道への負担が増大する。したがって、まず第1にこの影響の極力小さい車両であることが条件となるが、これは,①極力軽量化して軸重を小さくする②台車の心ザラを移動式とし、曲線通過時の車輪横圧を小さくすることで解決できる。ついで曲線通過時の安定性が、従来程度あるいはそれ以上保たれる車両でなければならない。このためには、③重心を可能な限り低くし転役に対する安全性を高める。 ④横風の影響を減少させるため,車体の全高を下げる必要がある。また、在来線の曲線であるからには、いかに高速用の車両が出現しても、カント量などはもっと低速の車両を基準にして設定しなければならないので、速度が高くなった分だけ超過遠心力が大きくなり、乗客にとっては、乗り心地が悪くなることにつながるので⑤車体を振り子式に支持する

以上が制作にあたっての基本条件となる事項であるが、ディーゼル車両では超軽量車を考える場合、まず問題になるのは原動機の重量である。

 

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103135548j:plain

(ガスタービン機関とディーゼル機関の重量比較 単位:kg 『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 41項 表1)

 

上記の図は、181系特急用気動車391形ガスタービン動車との重量比較であるが、原動機の重量はガスタービン機関の場合、1PS当りで約1/10から/20となり、減速機や排機装置、燃料装置などの重量増を加味しても、車両の軽量化には圧倒的に有利であるので、 ⑥動力装置にはガスタービンエンジンを使用し,動力伝達は機械式とする

以上の①~⑥の6項目を車両の具備すべき条件として設計・製作を行なった。

 

このガスタービンエンジンの鉄道車両への導入は、すでにフランス·アメリカ・カナダなどで実用化されているが、これらに使用されている小形·軽量·大出力の航空機用ガスタービンエンジンは,清浄空気域で使用されるものであり、騒音が大きいことや,燃料消費率が高いことなどで、鉄道車両へ応用ができるかどうかなど日本鉄道車輌工業協会が中心となって、国鉄の協力により研究が進められていた。

国鉄から貸渡したキハ07形に航空機用ガスタービンエンジン(石川島播磨重工業CT, 58形·川崎重工業KTF 1430形)を搭載して、エンジンの性能試験・騒音試験・温度の測定・燃料消費量の測定など種々の調査を行なった。

この結果、燃料制御装置・吹気フィルタ・防音壁に改良を加えれば、鉄道車両への導入は充分可能であるとの見通しが得られたのである。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103144016j:plain

(試験車両内に測定機器を配置した様子)

f:id:lifeisjourney-k-s:20180102224248j:plain

(T1車室内)

キハ391形高速運転用試験車の目的

この試験車は、軌道構造の弱い、急こう配急曲線の多い地方線区にける高速車両の開発を目標としているもので、最高速度130 km/h・曲線通過速度現行より20 km/ h以上向上を目標としている。またガスタービンを応用した最初の車両であり、その性能如何によっては、地方線区の高速化のため使用範囲が十分広がることとも考えられていた。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180102224307j:plain

(クリーム地にベージュ塗色は特急形気動車と同じで,色の帯を入れていた)

このような目的のため、試験車は,次のような特徴を有している。

  • 軌道への影響を減らすため, アルミ車体を採用するなど軽量化につとめ,軸重を小さくしている。
  • 曲線高速通過のため,車体高さを低くし重心を下げ,車輪横圧を均等化するため台車に心ザラ移動方式を採用し,乗心地改善のため車体を振子構造としている。
  • 軽量化の手段として動力装置に,ガスタービンを採用。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180102225613j:plain

車体は3車体、4台車の連接構造で、車体 はT1+M2+T3とよばれ,、M2はガスタービン等を収容する機器室および客室T1 ・T3の出入台のみで,台車は ボギー構造である。T1 ・T3は運転室および客室で車体は振子構造となっており、車体重量の一部はM2に負担させており、 M2の粘着力増大をはかっている。T1・T3の床面は920 mm (キハ181系1250 mm) 車体高さ3000 mm(キハ181系3490 mm),室内高さ2000mm (キハ181系2148 mm) というように車体断面は小さく、かつ低くなっている。搭載されているガスタービン は,石川島播磨重工がGE (米国)との技術提携によって製作したヘリコプター用のCT58を鉄道車両用に改良を加えたIM100-2 Rで、低速域でトルクの高いフリータービンと呼ばれるタイプである。重量は140 kg,回点数は19,500rpm,出力は1,050馬力で、キハ181系ディーゼルエンジン重量約3,500kg回転数1,600rpm出力500馬力と比べると、出力あたりの重量がいかに軽いかがわかる。キハ391系1両(1ユニット)の重量は74.5tでそれに相当するキハ181系2両分の重量は88tであり、全体としての軽量化がなされている。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103151547j:plain

構造と性能

上記でも書いたが、T1-M2-T3の3車体4台車の連接構造でこのユニットが1両となる。

中央のM2車が、ガスタービンエンジンを床上に搭載した2軸ボギー動力車で、両端に出入台、中央が機器室となり、出入台を結ぶ貫通廊下がある。

T1-T3両は前端に運転室があり、その後部は客室で出入台はない。台車は前位に従台車があるが、M2車との連結側はM2車体に重量を負担させる形で支持されている。

また、T1T3車は曲線通過時最大6度の振子をする構造となっているが、M2車は振子をしない。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103060233j:plain

(『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 42項)

これは、ガスタービンエンジンからの動力伝達が機械式なので、車体の減速機と台車の軸減速機間を推進軸で結んでいるが、振子をする車体にガスタービンエンジンを積んだのでは、 この推進軸の振れ角度が大きくなって成立しなくなるからである。

このため、振子をしない方が条件が良いガスタービンエンジンや出入台(旅客の乗降の際の片寄った荷重でも振子車では車体が傾斜する)を振子をしない車両にまとめ振子をする車体と組合わせて1ユニットとした。

また、振子をする車体と、しない車体との間、あるいは振子をする車体同志の間の連結器は、通常の車両に比らべて左右の変位量を大きくしてやらねばならないが、あまり大き過ぎても列車座屈を生じ易くなる。このためには,連結器の取付け箇所を、振子をする車体から振子をしない部分に移せばよいわけで、けん引力を伝達するのに充分に安全な中バリ(これまでの車両の台ワクに相当するもの)を振子をする車体と別個に設ける新しい構造とした。このような構造は外国にも見られない初めての試みであった。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103055457j:plain

  391系主要諸元

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103054944j:plain

                           (国鉄車両設計事務所)

 

試験

新造直後の1972年4月7日から28日に川越線で慣らし運転を実施後、6月6日から9日に山陰本線伯備線、6月20日から23日に山陽本線、6月28日に山陰本線伯備線で走行試験を行った。
10月5日の走行試験において、米子駅構内にてクラッチの破損事故が生じた。
その後、減速機の改造や排気消音機の改良がおこなわれ、1973年2月13日から15日に田沢湖線、2月16日・17日に田沢湖線奥羽本線で、2月18日には山田線で耐寒耐雪試験を行った。

その後は高速度試験に用いられた。3月7日から9日に伯備線、同月12日から14日に山陰本線、同月22日から24日に山陽本線で行われ、
最高速度130km/hを記録し、振り子の性能も591系と同等もしくはそれ以上であることが確認された。

 

その後の391形…

上記でいろいろと書いてきたがデメリットもたくさんあったようだ。燃費が悪いこと・ガスタービン・エンジンの独特の騒音・加速の悪さなどが問題点であった。
そんな中1973年にオイルショックが起きた。世論は低燃費・低騒音へと動き、ガスタービン動力車の将来性には疑問が持たれるようになった。その結果、試験は1973年以降中止された。 加えて伯備線田沢湖線の全線電化(共に1982年完成)を決めた事で国鉄ガスタービン動力車の量産化を断念。キハ391系は1978年まで米子駅に休車留置された後、大宮工場(JR化後はJR東日本大宮総合車両センター)に戻され、JR化直前の1987年3月10日付で廃車となってしまった。

廃車と同時にエンジンは撤去され、車体のみがイベント等で展示されていたが、長年放置された為に外販の塗装がボロボロになる等といった酷い状態となり、2015年2月に解体。現在は先頭車前部がカットモデル(台車なし)として大宮総合車両センタに保存されている。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180103053407j:plain

 

非電化区間の車両の今までと今後

1970年代後半には国鉄気動車の需要は充足され、気動車の生産数は減少した。さらに、気動車技術の分野では、市場情勢を左右するような「非電化の大手私鉄」が日本に存在せず、車両・機器類の販路の大部分は国鉄向けとなっていた。このため日本の気動車技術は完全に国鉄主導で展開されることになり、車両メーカーやディーゼル機関メーカーの企図による気動車技術新規開発の途は長く閉ざされていた。こうして1980年代初頭まで、日本の気動車技術は国鉄・私鉄ともに著しい停滞状態となった。
その後国鉄の経営悪化に伴い改革の動きが生じ、経営・現場の両面で従前の硬直化した体制が打破され、新しい革新的技術の積極的導入が可能となり、またエンジン技術自体の向上などにより徐々に新型気動車の開発も進められた。


その後2000年代に入り、車や船舶と同様、鉄道のディーゼルエンジンの環境に対する悪影響が強く指摘され始めるようになった。そんな中でハイブリッド気動車の試験も開始され、キハE200系やHB-E300系などが製作され営業運転に導入された。また2018年以降にはキハE130系500番台やGV-E400系などの電気気動車の運用も予定されている。

さらには、気動車そのものを代替する技術として、車両に何らかの電源を搭載し、非電化区間を走行可能な電車が開発されている。いわゆる蓄電池車両というものだ。すでにEV-E301系やBEC819系は営業運転が開始されている。

以上のように非電化区間の車両も日々進化を遂げていることがわかる。もともと架線のない蒸気機関車から始まった日本の鉄道史は、電化技術へと発展し、非電化区間は時代遅れあるいは劣っているとも言われてきた。しかしここに来て、蓄電池車の登場により架線なしの車両が一部ではあるが増え始めている。遠い未来には再び架線のない鉄道に戻る日が来るのかもしれない。

 

 

 

参考文献

『幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車』JTBパブリッシング

『仰天列車―鉄道珍車・奇車列伝』 藤崎一輝  秀和システム

鉄道ジャーナル』第278号 鉄道ジャーナル社 1989年12月

『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月

wikipedia』:国鉄キハ391系気動車 :日本の気動車

ピクシブ百科事典』:キハ391系