展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館② 2018
展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館①のつづき…
本館1F
それではさそっく本館の内部を見ていくことにします。
広大な吹き抜け構造となっている本館。
中に入ると500系新幹線・寝台特急でも活躍した581形・ボンネット型の489形のJR西日本を代表する車両が展示されています。
500系521形1号車
500系のトップナンバーです。
最高時速300㎞は当時世界最速としてギネスブックにも掲載されました。
まだこだまとして営業運転しているのに博物館に入ってしまうとは…
嬉しいようでありなんとも複雑(-""-)
戦闘機を思わせるようなこのフォルム!
他の新幹線とは全く違う‘‘異次元のカッコよさ‘‘ともいえるのではww
すぐ近くまで寄ることができ、様々な角度から眺められます。
高速運転をする上での強敵「騒音」を少しでも減らすため、窓・ドアや乗務員室扉の段差まで滑らかに作られています。
また、500系の特徴はフォルム以外にもこの独特の塗装も人気の秘密ではないでしょうか。東海道新幹線において「白と青」以外の営業用車両は500系が最初で最後になってしまうのでしょうか。
500系はJR西日本がJR東海に「物申す」みたいで面白かったんだけどな~。
今では座席数・車両の長さ等の関係で全く違う形式の車両の導入は難しいのでしょうね。
クハネ581形35号車
昼も夜も走り続けた働き者といえばこの581形(583形)でしょう。
581形(583形)は夜は寝台車・昼はベッドを収納して座席車になる世界初の特急用交直流電車でした。(581形は登場当初は60Hz専用でしたがのちに改造)
寝台スペースを確保するため、限界ギリギリまで屋根が高くなっています。
隣の500系と比べると車幅は新幹線の方が広いはずなのに高さの関係で581形の方が全体的に大きく見えます。
それまでの特急用車両はボンネット形でしたが、581形は連結運転を考慮して全面に貫通扉を備えています。
また、JRの電車では珍しく客用扉が戸袋部を必要としない折戸になっています。
近鉄の特急に似たものがありますね。
クハ489形1号車
国鉄を代表するボンネット形の特急用電車485形の一族の489形。
客室の騒音を減らすため、大きな音を出す機器を全部のボンネットに収納。
大型のヘッドマーク・鼻先の特急エンブレム・赤いひげなど独特の顔つきが大人気でした。
運転席の下にあるエンブレムは、日本国有鉄道の英略称「JNR」をデザイン化したもので、展示に際して復元されました。
また、車体側面に書かれた形式番号の前にある「●」マークはかつて存在した碓氷峠の急勾配区間を通過できる特別仕様車を表すものです。
こうして頭だけを眺められるのも博物館ならではの光景。
230形233号機
イギリスのSLを参考に設計された、日本初の量産型国産上記機関車。
2016年に国の重要文化財に指定されました。
煙突や運転室のいたる所にイギリス製SLの片鱗が見て取れます。
EF52形1号機
アメリカから輸入された電気機関車を参考に開発された日本初の国産大型電気機関車。
日本の電気機関車史上トップクラスの長さで国内メーカーの技術向上に貢献しました。
性能が良く45年以上活躍しました。
旧型電気機関車の特徴でもある大型のデッキ。
車体には乗務員扉がなく、乗務員はデッキを上がって正面扉から入室しました。
実際に上ることができます。
1800形1801号機
1880年に開通した京都~大津間の急勾配区間用にイギリスから輸入されたSL。
日本最初の急勾配線区向けの蒸気機関車として、そのあと各地でも活躍。
車番は1801号機となる前の番号40となっています。
100系122形5003号車
長年にわたり製造された0系の後継車両として1985年にデビューした100系。
全面スピード感のあるシャープな先頭部デザインは、1981年に登場したフランスの高速鉄道「TGV」を意識したとも言われています。
ベースの白色は0系よりも明るく細長いライトが特徴。
新幹線初の2階建て車両を連結し話題となりましたね。
キハ81形3号車
1960年に登場した、国鉄初の特急用ディーゼルカー(気動車)。
それまではSL牽引の客車列車だった非電化区間の優等列車を置き換えていきました。
全面のいかついボンネットの形から「ブルドッグ」の愛称をもちます。
上野- 青森間特急「はつかり」でデビューしました。
当初は初期故障が多くマスコミ「はつかり、がっかり、事故ばっかり」などとキャッチ-なフレーズで叩かれたりもしましたが、それでも従来の客車に比べれば遥かに高速で快適な気動車特急は好評で、その後増備されていきました。
キハ81形の前には「昭和乃駅」が再現されており、まるでタイムスリップしたかのような雰囲気です。
ヨ5000形5008号車
日本初のコンテナ専用列車「たから号」の最後尾に連結されていた車掌車。
たから号は梅田~汐留間で運行され、貨物列車としては初めて愛称がついたことでも有名です。
ワム3500形7055号車
大正時代に10,000両以上が製造された戦前を代表する大型貨車。
昭和30年代後半までは多く使用されていたみたいですが、コンテナ輸送が主流になるにつれてその姿を減らしていきました。
側面は木製。
交通科学博物館時代からありますが、本物ではなくモックアップだそう。
外観も中身も本物とほぼ同じ。
運転席周りも正確に再現されており、速度計もしっかり160㎞まであります。
川崎重工兵庫工場の本社前には本物の151系が保存されていますね。
その時の模様です⇩ よければどうぞ。
lifeisjourney-k-s.hatenablog.com
EF66形35号機
東海道本線や山陽本線の高速貨物列車用に誕生した、国鉄最後の直流電気機関車。
国鉄史上最強と言われたパワーをいかんなく発揮し、高速化に貢献しました。
縦に並んだヘッドライト、その間に配置された飾り帯、そしてナンバープレートの装飾などその美しい形状はファンを魅了しましたね。
車両の下に潜りこんで台車やモーターの構造を見ることができます。
DD51形756号機
1962年から16年間にわたって約650両が製造された液体式ディーゼル機関車で国鉄の無煙化に貢献。凸型の車体は真ん中が運転席、両端がエンジンで、非電化区間のエースとして全国各地で活躍しました。
ブルートレインから貨物列車まで、様々な列車を牽引しました。
こちらも車体の下に潜りこんで構造を楽しめます。
反対側には「出雲」のヘッドマークがついています。
101系
101系のモックアップです。
ドアを開閉したり、車輪が動いている所などを見ることができます。
日本の鉄道の始まりから現在までの鉄道の歴史を知ることができる「鉄道のあゆみ」のコーナーがあります。
当時の制服や模型・ジオラマ・ヘッドマークなど貴重な資料が保存されています。
実際の踏切が設置されており、非常ボタンも押すことができます。
大雨や地震などの自然災害が起こった後、保線作業員が線路に異常がないか調べるときに使用することのある、軌道自転車に乗車することができます。
車輪や台車の展示です。
集電装置いわゆるパンタグラフの展示です。
ひし形のモノからシングルアームなどいろいろあります。500系のモノもありボタンを押すと上がります。
各車両の運転台の模型。実際に座ることができます。
221系は全面部分のモックアップになっており、車内放送もできます。
種別はなぜか臨時。
そのほかEF66・DD51・DE10・0系がの運転台がありました。
保線のことも学べます。
右の写真はカント(片勾配)の測定器です。
クモヤ93形架線試験車の模型。
1958(昭和33)年にモハ51を改造して誕生した架線試験車です。
1960年11月21日東海道本線藤枝- 金谷間において高速度試験で175km/hという当時の狭軌鉄道世界最高速度を達成した車両です。
高速試験といえばこの381系も有名です。
国鉄時代に湖西線において381系C601編成で国内狭軌最高速度の179.5km/hを記録しています。
残念ながらクモヤ93形は1980年に381系C601編成は2011年に廃車になっています。こういう歴史に名を刻んだ車両をぜひとも保存しておいてほしかったなぁ。
その他、架線・信号の仕組みやトンネル・橋の構造なども詳しく解説されています。
DD14の茶色塗装の模型もありました。
591系自然振り子式車体傾斜車両の仕組み模型がありました。
横から見る限りでは低運転台車側のクモハ591形だと思い裏側に回ってみましたが、残念ながら全面は再現されていませんでした。
展示引込線
オハ46形13号車
国鉄が急行列車での使用を目的に製造した客車。
3等車ながら座席や照明を大幅に改良、乗り心地もよく好評だったよう。
後にローカル線の普通列車などに転用され、今も全国で数量がイベント用に残っています。
カニ24形12号車
24系寝台客車は集中電源式を採用し、この電源車で作った電気を全車両に供給していました。
いわば「縁の下の力持ち」で車両には荷物室もあり、新聞や手荷物もこの車両に積載していました。
オハ25形551号車
「トワイライトエクスプレス」のサロン車両。フリースペースで全席が海側を向き、大きな窓から日本海の夕日が堪能できました。
景色を堪能できるように特大サイズの窓を両側に設置。
これに乗ってソファーに座って眺める日本海の夕日は最高だったんだろうな~。
展示引込線には階段があり、屋根の構造を見ることが可能です。
本館の2階に上がる前に外に出てみると、先ほどはいたEH800‐11がもういなくなっていました。
本館2F
「生活と鉄道」というテーマで鉄道と旅行の発展やバス・航空機などの様々な移動手段が比較展示されていました。
国鉄の修学旅行専用列車155系「きぼう」や近鉄の修学旅行専用列車20100系の模型展示もありました。
関西を代表する速達列車「新快速」の歴史が展示されています。
客室の解説も詳しくされています。つり革の形状・トイレ・洗面台など。
座席の展示コーナーでは700系7000番台のコンパートメントシートやフルムーンシート・W7系のグランクラスのシート・151系特急「こだま」のパーラーカーの座席の展示がありました。
こちらは座席予約システム「マルス」の歴史です。今はネットやみどりの窓口で一瞬できっぷが変えますが、昔は1枚の指定席を発券するのに30分もかかっていたんですね。
昔の改札と現代の改札の比較展示のコーナー。
乗務員宿舎などに設置されている「自動起床装置」。
JR貨物の秘密がわかる「物を運ぶ」のコーナー。
日本の鉄道が開業した翌年から始まった鉄道貨物の歴史をどのように発達し、人々の生活を支えてきたかを模型や実物のコンテナで解説されています。
列車をコントロールする指令所の表示盤の展示やATS(自動列車停止装置)・ATC(自動列車制御装置)の仕組みをジオラマの模型を実際に運転しながら学ぶことができます。
また、奥にはキッズコーナーがあり、プラレールをはじめとする鉄道関連のおもちゃがありました。
壁面にはHOゲージの模型。
新幹線の16両や歴代・現代の特急列車のフル編成展示がされています。
数ある体験展示の中でも人気の「運転シミュレータ」。
全部で8台が用意され、うち6台は在来線タイプで2台は新幹線タイプです。
制服に着替えて運転士になりきって楽しむことができます。
関西の鉄道を語る上で外せないのが「私鉄」。
私鉄王国関西ともいわれるほど、路線も車両もJRに対抗したり協力したり切磋琢磨して成長してきました。
大手私鉄の阪急・京阪・阪神・近鉄・南海をはじめ京福電鉄や叡山電鉄などの京都の私鉄も紹介されています。
また、今は亡き京都市電の懐かしの映像などもありました。
鉄道ジオラマのコーナーでは日本最大級のジオラマを身近な車両や懐かしの名車両が駆け抜けます。
1日に6回鉄道の一日というテーマで解説付きの走行が楽しめます。所要時間は約15分。
鉄道車両だけではなく、トンネルや橋梁など様々なところまで綿密に作られています。
次はこの博物館一番の目玉「扇形車庫」を見に行きます!
展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館③につづく…
展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館① 2018
1月30日の午後から京都鉄道博物館に行ってみました。
京都鉄道博物館は2回目の訪問です。
前回は日曜日だったので混雑しており、ゆっくり見て回ることができなかったので今回は平日を狙って訪れてみました。
京都鉄道博物館を紹介したブログはたくさんあるので、今回は
- 行ったけど混雑していてゆっくり見れなかった方
- まだ訪れたことがないけど中をじっくり見たい方
- 同伴者に知識をひけらかしたい方(笑)
向けにそこそこ詳しく書いていこうと思います。
53車両+αの全展示車両をお見せします。
①プロムナード・トワイライトプラザ
②本館
③扇形車庫
の三部作です。
良ければご覧ください。
京都鉄道博物館
この日は自転車できました。
電車での場合の最寄り駅は京都駅ですが、歩くと少し距離があるんですよね。
それもあってか、現在博物館の目の前に新駅が建設中です。
入館料金です。
詳しい割引情報はホームページでご確認ください。↓市バス・京都バス一日乗車券カードなどを持っていると割引があるみたいですよ。
http://www.kyotorailwaymuseum.jp/guide/pdf/discount.pdf
チケットを買いさっそく中に入っていきます。
プロムナード
まず入館して目にするのがこれ!
エントランスホールと本館とをつなぐ全長約100mのプロムナードは、駅のプラットホームをイメージした屋外スペースとなっています。
実物車両が編成で展示されているのが特徴的ですね。
左からC62形26号機・クハ86形1号車・0系21形1号車の順で並んでいます。
それではさっそく1両づつ見ていくことにいたしましょう。
C62形26号機
特急「つばめ」も牽引したエース機関車です。
日本最大の旅客用機関車で貨物用だったD52形のボイラーを転用して製造されました。
ちなみに銀河鉄道999のSLはC62がモデルですね。
3つの動輪をつなぐロッドが一番下の位置に来るのがSLを最も美しく見せるスタイルといわれています。
クハ86形1号車・モハ80形1号車
戦後すぐに登場した、日本初の長距離用電車。
緑とオレンジのツートンカラーはグレートノーザン鉄道の車両写真を見た島秀雄の意見がきっかけとなりました。宣伝として目立つ色であり、また遠方からも識別容易であることからオレンジ色が、それに調和する汚れの目立たない色として濃緑色が選ばれたそうです。
2枚窓の形式もいいですよね。
広い運転台には2人分の椅子があります。
当時、長距離電車の運転は2人乗務が基本でした。
また、座席は長距離移動を考慮して客車をベースにしたボックスシートを採用。
電車では初めて客室がデッキで仕切られました。
マロネフ59形1号車
戦前に製造された皇室・来賓客用の寝台客車です。
1等客室部分は個室、2等客室部分は通路の両側に座席があり、夜はベッドになります。
赤のシートは阪急電車の優先座席の色に似ていますね。
スシ28形301号車
戦前に製造された車両で、当初はスロシ38000形と名乗り、車両の半分が2等座席、もう半分が食堂車でした。
交通科学博物館へ移設展示される際に全室食堂車に改装され、実際に食堂として使用されていました。
車端部には5枚の銘板がずらり。
それぞれ製造年やメーカー、改造の履歴を表していてこの車両の歴史が凝縮
されています。
0系21形1号車
言わずと知れた、東海道新幹線の初代車両ですね。
この車両のうち21-1・22-1・16-1は1964年3月に落成した1次車の先行製造車で、同年8月に落成の2次車の35形トップナンバー車35-1とともに、2007年8月に機械遺産(11番)として認定されたもの。
とても貴重です!
新幹線登場時は車体に列車名と行き先を書いた板が差し込まれていましたが、交換が大変などの理由に撤去されました。枠だけが残っています。
0系16形1号車
ゴールドに輝く客扉のフレームが特徴的です。
登場当時は1等車という名称で金色のドア枠が目印でした。
クローバー🍀のグリーンマークは後年貼り付けられたものです。
初期の車両には、非常時に備えて脱出口が設置されていました。
展示に合わせて開閉ができるように整備されているそう。
もちろんですが通常は閉じたままで展示。
0系35形1号車
開業時にはビュッフェスタイルの食堂車が連結されていました。
ビュッフェ車両の壁にはアナログの速度計が設置されており、みんな釘付けでした。
窓を向いてテーブルや椅子が配置されていて、車内販売の準備もここで行われていました。
こういう「旅」自体を楽しめる設備もいいですよね。今は乗車定員などの理由から食堂車の設置は難しいですが、リニア中央新幹線が開業した後には、余裕ができるのでぜひとも復活させてほしいですね。
0系22形1号車
0系の東京寄りの先頭車。
車内は展示スペースになっていて入ることができます。
交通科学博物館でシアターカーとして使用されていた車内は改装され新幹線の模型・台車模型・パンタグラフ模型など様々な資料が展示されています。
運転席にも入ることができます。
運転席にはカメラが設置されており、記念撮影ができるみたい。
ナシ20形24号車
1958年にデビューし、その豪華設備から「走るホテル」とも呼ばれた20系客車の食堂車です。
車内でお弁当が販売されていて、中で食べることができます。
DD54形33号機
短命に終わった悲運の機関車として知られています。
個人的にはお気に入り機関車です。このフォルムかわいいですよね。
開発経緯としては、当時(1960年頃)の国鉄は1000馬力のエンジン1機づつ前後に積んだDD51(凸こんなカタチ。後ほど本館で紹介)の開発・実用化を目指していました。
ヨーロッパでは2,000馬力から2,700馬力程度の出力のディーゼルエンジンを1基搭載し、車両重量の軽減・保守の容易化・製造コストの削減を狙った設計のディーゼル機関車の量産が行われており、日本でも注目されていました。
そこで三菱重工業が西ドイツのマイバッハ社からライセンス供与を受けて開発されました。
要は、1000馬力×2(DD51)か2000馬力×1(DD54)ということ。
試験期間では順調でしたが、実際の営業運転では故障も多く芸術品のように精密なパーツなどにより日本では手に余る技術であったため、そのためいずれの車両も法定耐用年数(18年)を終えず運用を離脱しました。(国鉄の資産運用について国会で質疑応答が行われる事態にまで発展したそう(゜.゜))
クハ103形1号車
こちらは昨年大阪環状線で引退した103系のトップナンバーです。
東京の山手線でデビューした後に関西にきました。
高度経済成長期の日本の経済支えた通勤型車両です。
運行時期は3,400両以上に上りましたが、今では奈良線や和田岬線などごくわずかしか残っていません。
中に入ることができて、窓の上に掲示されている路線図は引退した当時のままです。
トワイライトプラザ
歴史的価値を有するトラス構造を再利用した空間に、戦後を代表する電気機関車や寝台車、そして、2015年春に引退した寝台特急「トワイライトエクスプレス」を展示されています。
EF81形103号機
直流・交流の両方に対応した電化区間のオールマイティな機関車です。
大阪・青森の通し運転を可能にしました。
今も少数が活躍しています。
EF58形150号機
戦後を代表する旅客用電気機関車で絶大な人気を集めました。
初期型は本館1階に収蔵されているEF52形と同様のデッキ付き箱型スタイルでしたが、途中から2枚窓の半流線形デザインに大幅変更し別人のようになりました。
蒸気機関車のすすや煙で汚れた顔を洗う洗面台です。
どこか海外の駅を思わせる光景です!
オロネ24形4号車
A寝台車は座席車両のグリーン車に相当し、この車両は個室ではありませんが、ベッドの幅がB寝台よりも広くなっています。
プルマン式という構造で、通路の両側にベッドを配置し、昼間は折りたたんで座席になります。
スシ24形1号車
「トワイライトエクスプレス」用に改造された食堂車。
元特急型交直流電車の食堂車サシ489形3号車です。
車内で本格的な調理ができる厨房があり、ゆったりとした客室にはステンドグラスや電動カーテンなど豪華列車にふさわしい内装でした。
スロネフ25形501号車
「トワイライトエクスプレス」のシンボルA個室寝台スイート・ロイヤル車両。
車内はベッドルームとリビングに分かれ、展望室部分にはソファーがあり、シャワーまで完備していました。
鉄道ファンならずともあこがれの車両ですね。
EF65形1号機
EF65形のトップナンバーです。
1965年に登場した直流用電気機関車で貨物用・旅客用など4タイプが製造されました。
全部で308両が製造され、日本の電機機関車史上最多数を誇ります。
EF65は何度かモデルチェンジを実施し1000番台車には貫通扉が設けられ、塗り分けも変更されて大幅にイメージが変わりました。
(EH800‐11)
トワイライトプラザの隣には2018年1月20日(土)~28日(日)まで「車両のしくみ/車両工場」エリア(本館1階)にて展示されていたJR貨物のEH800形電気機関車がいました。
この日は30日だったので展示は終了していましたが、まだ留置線にはいました。
展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館②では本館を主に紹介します。
良ければご覧ください。
キハ391系(ガスタービン動車)誕生秘話
皆さんは以下の写真の車両をご存知でしょうか?
(『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 表紙)
全面はキハ80形やキハ181形に似ているがどうやら後方の様子が違う。2両なのか3両なのか?わからない。最初は変わったデザインの車両だなぁと流していたのだが、何回か目にするうちに、何か気になってきた。個人的には恐怖すら感じる奇抜なデザインだと思う。何か闇が深そうと思ったので少しこの車両について調べてみることにした。
はじめに
当時の(1960年台後半~1970年代初頭)我が国の経済の高度成長に伴い、旅客列車のスピードアップは利用者の欲求にかなうものであり、一日行動圏の拡大は更に需要増大を招くこととなり、国民経済的にも国鉄の経営上からもきわめて重要な課題となっていた。
1960年代のわが国の目覚しい発展は、 また一面で、地域格差の拡大や公害問題の深刻化など社会的ひずみを引き起したことも事実であり、このような格差の解消や過疎対策などが検討されるにつれて、改めて交通機関の役割が再認識され、新たに各交通機関の特色を盛込んで、全国を総合的かつ普遍的に調整しようとする総合交通体系の確立が急がれていた。
国鉄は、 さきに4,500 kmに及ぶ全国新幹線網の構想を発表したが、これが礎石となって1970年全国新幹線鉄道整備法が制定され、昨年後には東北·上越·成田の3新幹線が着工されていた(当時)。さらに1972年3月15日には新大阪-岡山間が開業し、博多への延長線も49年秋開通を目標に建設が進められていた。
このように、新幹線網が整備された時点では、これと地方主要都市を結ぶ亜幹線などは当然現行速度のままで放置できないが,、これらの線区の多くが非電化線であり、しかも山岳地帯を通るため急こう配と急曲線が多いのが通例である。そこで、その高速化は曲線通過速度の向上のいかんにかかっているといっても過言ではなかった。
この問題に対して、国鉄は昭和43年に振子支持と横圧軽減装置の2つの新しい試作要素を持たせた曲線通過高速台車 R96を製作して試験を行ない、その結果を確認して45年に試験用電車クモハ591形を試作、東北本線で走行試験を行なってきたこの車両はその後一部の改良を行ない、引続き鹿児島本線で各種試験が行なわれていた。
このような状況のもとに、高速運転用ガスタービン気動車の開発は進められ、国鉄は1972年3月25日大宮工場でガスタービン動車キハ391形3両ユニット試作1編成を完成し、早速川越線で公開試運転を行ない、所期の成績を得た。
391形製作の基本的考え方
一般にスピードアップ・到達時間の短縮といっても、これを実現するためにはいろいろな制約がある。速く走るためだけなら、車両の動力装置をパワーアップすればよいが、それだけでは実現不可能であり走行装置の安全性を高め、乗心地もスピードアップ以前と同等か、それ以上に優れたものとしなければならない。また、 ブレーキ性能の向上も必要であり、早く走れば走るほどブレーキ率を高めて、規定の距離で停止重または減速させることが必要となる車両ばかりではなく軌道も強化せねばならない。特に曲線部は速度が高いほど車両から受ける影響は大きいので高速化のためには曲線半径や分岐器の構造まで変更しなければならないこともある。
さらに、信号機の間隔や表示方式も変えることもあるし、線路容量が不足している場合には、待避線の新設や線増すら行なわなければならない。いずれにしても,多額の資金を必要とするもので、いかに少ない経費で実現するかは、技術の開発とくに車両性能の向上いかんにかかっているといえる状況であった。
さて、スピードアップの要求される非電化区間では、軌道構造もどちらかというと弱い部類のものが多く、曲線部の速度向上は,横圧の増大、その他によって軌道への負担が増大する。したがって、まず第1にこの影響の極力小さい車両であることが条件となるが、これは,①極力軽量化して軸重を小さくする、②台車の心ザラを移動式とし、曲線通過時の車輪横圧を小さくすることで解決できる。ついで曲線通過時の安定性が、従来程度あるいはそれ以上保たれる車両でなければならない。このためには、③重心を可能な限り低くし転役に対する安全性を高める。 ④横風の影響を減少させるため,車体の全高を下げる必要がある。また、在来線の曲線であるからには、いかに高速用の車両が出現しても、カント量などはもっと低速の車両を基準にして設定しなければならないので、速度が高くなった分だけ超過遠心力が大きくなり、乗客にとっては、乗り心地が悪くなることにつながるので⑤車体を振り子式に支持する。
以上が制作にあたっての基本条件となる事項であるが、ディーゼル車両では超軽量車を考える場合、まず問題になるのは原動機の重量である。
(ガスタービン機関とディーゼル機関の重量比較 単位:kg 『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 41項 表1)
上記の図は、181系特急用気動車と391形ガスタービン動車との重量比較であるが、原動機の重量はガスタービン機関の場合、1PS当りで約1/10から/20となり、減速機や排機装置、燃料装置などの重量増を加味しても、車両の軽量化には圧倒的に有利であるので、 ⑥動力装置にはガスタービンエンジンを使用し,動力伝達は機械式とする
以上の①~⑥の6項目を車両の具備すべき条件として設計・製作を行なった。
このガスタービンエンジンの鉄道車両への導入は、すでにフランス·アメリカ・カナダなどで実用化されているが、これらに使用されている小形·軽量·大出力の航空機用ガスタービンエンジンは,清浄空気域で使用されるものであり、騒音が大きいことや,燃料消費率が高いことなどで、鉄道車両へ応用ができるかどうかなど日本鉄道車輌工業協会が中心となって、国鉄の協力により研究が進められていた。
国鉄から貸渡したキハ07形に航空機用ガスタービンエンジン(石川島播磨重工業CT, 58形·川崎重工業KTF 1430形)を搭載して、エンジンの性能試験・騒音試験・温度の測定・燃料消費量の測定など種々の調査を行なった。
この結果、燃料制御装置・吹気フィルタ・防音壁に改良を加えれば、鉄道車両への導入は充分可能であるとの見通しが得られたのである。
(試験車両内に測定機器を配置した様子)
(T1車室内)
キハ391形高速運転用試験車の目的
この試験車は、軌道構造の弱い、急こう配急曲線の多い地方線区にける高速車両の開発を目標としているもので、最高速度130 km/h・曲線通過速度現行より20 km/ h以上向上を目標としている。またガスタービンを応用した最初の車両であり、その性能如何によっては、地方線区の高速化のため使用範囲が十分広がることとも考えられていた。
(クリーム地にベージュ塗色は特急形気動車と同じで,色の帯を入れていた)
このような目的のため、試験車は,次のような特徴を有している。
- 軌道への影響を減らすため, アルミ車体を採用するなど軽量化につとめ,軸重を小さくしている。
- 曲線高速通過のため,車体高さを低くし重心を下げ,車輪横圧を均等化するため台車に心ザラ移動方式を採用し,乗心地改善のため車体を振子構造としている。
- 軽量化の手段として動力装置に,ガスタービンを採用。
車体は3車体、4台車の連接構造で、車体 はT1+M2+T3とよばれ,、M2はガスタービン等を収容する機器室および客室T1 ・T3の出入台のみで,台車は ボギー構造である。T1 ・T3は運転室および客室で車体は振子構造となっており、車体重量の一部はM2に負担させており、 M2の粘着力増大をはかっている。T1・T3の床面は920 mm (キハ181系1250 mm) 車体高さ3000 mm(キハ181系3490 mm),室内高さ2000mm (キハ181系2148 mm) というように車体断面は小さく、かつ低くなっている。搭載されているガスタービン は,石川島播磨重工がGE (米国)との技術提携によって製作したヘリコプター用のCT58を鉄道車両用に改良を加えたIM100-2 Rで、低速域でトルクの高いフリータービンと呼ばれるタイプである。重量は140 kg,回点数は19,500rpm,出力は1,050馬力で、キハ181系ディーゼルエンジンの重量約3,500kg回転数1,600rpm出力500馬力と比べると、出力あたりの重量がいかに軽いかがわかる。キハ391系1両(1ユニット)の重量は74.5tでそれに相当するキハ181系2両分の重量は88tであり、全体としての軽量化がなされている。
構造と性能
上記でも書いたが、T1-M2-T3の3車体4台車の連接構造でこのユニットが1両となる。
中央のM2車が、ガスタービンエンジンを床上に搭載した2軸ボギー動力車で、両端に出入台、中央が機器室となり、出入台を結ぶ貫通廊下がある。
T1-T3両は前端に運転室があり、その後部は客室で出入台はない。台車は前位に従台車があるが、M2車との連結側はM2車体に重量を負担させる形で支持されている。
また、T1T3車は曲線通過時最大6度の振子をする構造となっているが、M2車は振子をしない。
(『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月 42項)
これは、ガスタービンエンジンからの動力伝達が機械式なので、車体の減速機と台車の軸減速機間を推進軸で結んでいるが、振子をする車体にガスタービンエンジンを積んだのでは、 この推進軸の振れ角度が大きくなって成立しなくなるからである。
このため、振子をしない方が条件が良いガスタービンエンジンや出入台(旅客の乗降の際の片寄った荷重でも振子車では車体が傾斜する)を振子をしない車両にまとめ振子をする車体と組合わせて1ユニットとした。
また、振子をする車体と、しない車体との間、あるいは振子をする車体同志の間の連結器は、通常の車両に比らべて左右の変位量を大きくしてやらねばならないが、あまり大き過ぎても列車座屈を生じ易くなる。このためには,連結器の取付け箇所を、振子をする車体から振子をしない部分に移せばよいわけで、けん引力を伝達するのに充分に安全な中バリ(これまでの車両の台ワクに相当するもの)を振子をする車体と別個に設ける新しい構造とした。このような構造は外国にも見られない初めての試みであった。
391系主要諸元
試験
新造直後の1972年4月7日から28日に川越線で慣らし運転を実施後、6月6日から9日に山陰本線・伯備線、6月20日から23日に山陽本線、6月28日に山陰本線・伯備線で走行試験を行った。
10月5日の走行試験において、米子駅構内にてクラッチの破損事故が生じた。
その後、減速機の改造や排気消音機の改良がおこなわれ、1973年2月13日から15日に田沢湖線、2月16日・17日に田沢湖線・奥羽本線で、2月18日には山田線で耐寒耐雪試験を行った。
その後は高速度試験に用いられた。3月7日から9日に伯備線、同月12日から14日に山陰本線、同月22日から24日に山陽本線で行われ、
最高速度130km/hを記録し、振り子の性能も591系と同等もしくはそれ以上であることが確認された。
その後の391形…
上記でいろいろと書いてきたがデメリットもたくさんあったようだ。燃費が悪いこと・ガスタービン・エンジンの独特の騒音・加速の悪さなどが問題点であった。
そんな中1973年にオイルショックが起きた。世論は低燃費・低騒音へと動き、ガスタービン動力車の将来性には疑問が持たれるようになった。その結果、試験は1973年以降中止された。 加えて伯備線と田沢湖線の全線電化(共に1982年完成)を決めた事で国鉄はガスタービン動力車の量産化を断念。キハ391系は1978年まで米子駅に休車留置された後、大宮工場(JR化後はJR東日本大宮総合車両センター)に戻され、JR化直前の1987年3月10日付で廃車となってしまった。
廃車と同時にエンジンは撤去され、車体のみがイベント等で展示されていたが、長年放置された為に外販の塗装がボロボロになる等といった酷い状態となり、2015年2月に解体。現在は先頭車前部がカットモデル(台車なし)として大宮総合車両センタに保存されている。
非電化区間の車両の今までと今後
1970年代後半には国鉄の気動車の需要は充足され、気動車の生産数は減少した。さらに、気動車技術の分野では、市場情勢を左右するような「非電化の大手私鉄」が日本に存在せず、車両・機器類の販路の大部分は国鉄向けとなっていた。このため日本の気動車技術は完全に国鉄主導で展開されることになり、車両メーカーやディーゼル機関メーカーの企図による気動車技術新規開発の途は長く閉ざされていた。こうして1980年代初頭まで、日本の気動車技術は国鉄・私鉄ともに著しい停滞状態となった。
その後国鉄の経営悪化に伴い改革の動きが生じ、経営・現場の両面で従前の硬直化した体制が打破され、新しい革新的技術の積極的導入が可能となり、またエンジン技術自体の向上などにより徐々に新型気動車の開発も進められた。
その後2000年代に入り、車や船舶と同様、鉄道のディーゼルエンジンの環境に対する悪影響が強く指摘され始めるようになった。そんな中でハイブリッド気動車の試験も開始され、キハE200系やHB-E300系などが製作され営業運転に導入された。また2018年以降にはキハE130系500番台やGV-E400系などの電気気動車の運用も予定されている。
さらには、気動車そのものを代替する技術として、車両に何らかの電源を搭載し、非電化区間を走行可能な電車が開発されている。いわゆる蓄電池車両というものだ。すでにEV-E301系やBEC819系は営業運転が開始されている。
以上のように非電化区間の車両も日々進化を遂げていることがわかる。もともと架線のない蒸気機関車から始まった日本の鉄道史は、電化技術へと発展し、非電化区間は時代遅れあるいは劣っているとも言われてきた。しかしここに来て、蓄電池車の登場により架線なしの車両が一部ではあるが増え始めている。遠い未来には再び架線のない鉄道に戻る日が来るのかもしれない。
参考文献
『幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車』JTBパブリッシング
『仰天列車―鉄道珍車・奇車列伝』 藤崎一輝 秀和システム
『鉄道ジャーナル』第278号 鉄道ジャーナル社 1989年12月
『鉄道ピクトリアル』第266号 電気車研究会 1972年6月
『wikipedia』:国鉄キハ391系気動車 :日本の気動車史
神戸街めぐり1dayクーポンで行く KOBE乗り物旅④ ~UCCコーヒ博物館・神戸空港~
神戸街めぐり1dayクーポンで行く KOBE乗り物旅③のつづき…
さて、カワサキワールドを出て徒歩で神戸の中心部を散策。
途中でこんなおしゃれな建物も。
この建物はもともとは三井物産神戸支店として建てられ、長く「海岸ビル」といわれていましたが、現在はNOF神戸海岸ビルとなっています。
先ほど神戸地裁を見た時にも書きましたが、このように古い歴史的建造物の上にビル等の建物を建てて建築物も保存することを「ファサード保存」と言います。
少し歩くと、神戸市立博物館に着きました。
そういえばまだクーポンが100円分残っているので、ここに入ってみることにしようかなと考え入り口の受付に入ってみると、普段の入館料は200円らしいのですがこの期間は「ボストン美術館の至宝展 東西の名品、珠玉のコレクション」という特別展開催中で入館料が1000円以上したので、入るのはやめました。
なんか手持ち無沙汰だったので、目の前の神戸市役所1号館の展望ロビーに行ってみて、そこでこの後どうするか決めることにします。
ちなみに無料で上れます。
展望ロビー用のエレベーターで上がります。
24階が展望ロビーです。
地上から約100m。神戸市の町が一望できます。
夜景もとてもきれいですよ。
神戸街めぐり1dayクーポンの観光ガイドマップでどこに行こうかと探していると、300円で入れる『UCCコーヒー博物館』なるものを発見。
一度も行ったことがなかったので、ここに行ってみることに決定。
ポートライナーもこの神戸街めぐり1dayクーポンの乗車券で乗れます。
やってきました。
新交通システムについて少し詳しいので、知っている情報をここで書いておきます。
(そんなのどうでもいいという方はとばしてくださいね)
ポートライナーとは…
ポートライナーは小型の車両が自動運転で専用軌道上をゴムタイヤを使って走行する列車です。
正式名称は自動案内軌条式旅客輸送システム(AGT : Automated Guideway Transit)
というらしいです。
新交通システムと呼ばれることの方が多いですね。
車両の先頭はこんな風に一応手動運転ができるように運転台はあります。
この神戸のポートライナー1981年2月5日に日本初の実用的な新交通システムかつ世界初の自動無人運転方式として開業しました。
また全駅に、日本で初めてのフルスクリーンタイプのホームドアの設置や、最小曲線半径 30m、56‰の急勾配など、AGTの性能を最大限発揮した線形となっており、既存市街地では高層ビルや高速道路などを縫うように軌道が敷設されています。
路線図はこのようになっています。
三宮~神戸空港間は複線ですが、市民広場から分岐し三宮まで戻っていく(市民広場駅 - 北埠頭駅 - 中公園駅間)路線は単線のため一方向にしか列車は運転されていません。
運よく一番前の席が空いていたので座って全面展望を楽しむことにしました。
南公園駅までの車窓を少し紹介します。
貿易センターを発車後、ビルの合間を走り抜け、阪神高速の下を潜るように走ります。
そして神戸大橋を渡るために急こう配を上ります。
そしてAGTでは珍しい2重構造の中公園駅に到着。
その後は、直線が続きます。そして市民広場駅で神戸空港方面と北埠頭方面に分かれます。
さらにもうひとこと言っておくと、車両基地を除く全線が高架構造で、線路内に容易に立ち入りができないようになっており、開業以来無事故記録を更新し続けています。
すごい!
UCCコーヒー博物館は南公園の目の前にあります。
手前の建物がコーヒー博物館で奥がUCCの本社ビルです。
入館料は大人:(高校生以上)300円 シニア:(65歳以上)150円 中学生以下:無料
見学の順路はまず、中央のエスカレーターを上がります。
上った先に展示室1があり、そこからゆるやかなスロープを下りながら、
各展示室を順序良く見学できる構造になっています。
展示ゾーンは1~6まであります。
展示室1起源➝展示室2栽培➝展示室3鑑定➝展示室4焙煎➝展示室5抽出➝展示室6文化の順になっています。
また1Fにはテイスティングコーナーもあり、1日に4回のテイスティングを実施しているようです。
知らなかったのですが、UCCミルクコーヒーが世界初の缶コーヒーなんですね。
1969年に発売し翌年の大阪万博を機に爆発的にヒットしたそうです。
さて、UCCコーヒー博物館を見学したのち、神戸空港に行くことにしました。
南公園からポートライナーに乗ると中公園のほうまで行って乗り換えなければならないので(一方向にしか運転されていないため)、市民広場まで歩くことにします。
市民広場まで戻る方が絶対に早いと思います。約5分ぐらいでした。
ターミナル内は右にANAのカウンター、左にスカイマークのカウンターがあります。
Ninja ZX‐10Rが展示されていました。
3階にはフライトシミュレーターがありました。
神戸空港オリジナルコースがあるみたいですよ。
4階の展望デッキに行ってみました。
外の気温は3度。寒い。
滑走路の反対側からはこんな感じの景色が。
ポートタワーも見えます。
スポットには新千歳行きのスカイマークBC175便が一機だけいました。
ふと上を見てみると、何やら飛行機が。んっ?4発?と思いカメラのズームでアップしてみると、タイ航空のA380ではありませんか!「flightradar24」で確認してみると、バンコク発関空行のTG672でした。
関空に着陸する飛行機は神戸空港沿いの上空3,000ft前後を飛行するので、肉眼でもよく見えます。
しっかり関空へのアプローチまでみえました。
ということで神戸空港の動きは少なそうなので、関空着陸便を撮影してみることにしました。(写真ではよくわからないので一言コメントを添えてみます。)
まず右端の写真①=香港からのキャセイパシフィック航空の747‐8です。(CX36)最新鋭の747型機です。まさか2連続で4発機が見られるとは。
②=香港エアラインのA330‐300です。(HX618)
④=那覇からのピーチです。(MM216)関空はピーチの拠点なので高確率で見ることができます。
⑤=12月19日に就航したばかりのスクートのホノルル便です。(TR701)使用機材は787‐8。まさか往復3万円以内でハワイに行ける時代が来るとは…。
⑥=山東航空の737‐800です。(SC8825)この便は青島発の便ですが、SC8825便はウルムチー青島ー関空という経由便になっています。
⑦=仁川発大韓航空のカーゴです。(KE553)使用機材は747‐400です。
⑧=大邱発のエアプサンです。(BX128)使用機材はA321‐200。
このほかにもまだまだたくさん飛んできましたが、きりがないのでこの辺でやめておきます。
ここで先ほど止まっていたスカイマークが動き始めました。
「気を付けていってらっしゃい」
BC175便を見送った直後に低空で着陸便が飛んできました。
約20分遅れの長崎から飛んできたBC146便でした。
着陸したのは今では珍しいウイングレットなしの機体。
機体番号は『JA737N』。
ここでこの機体に関して一つうんちくを。
いま(2017年)現役で就航しているスカイマークの機体の中で一番古い機体です。
スカイマークにとって初めての737‐800がJA737Hでその後K➝L➝M➝Nの順で導入していきました。なのでこの機体はスカイマークにとって5機目の737‐800。
H・K・L・Mはすでにスカイマークを引退して他の航空会社に移っており、実質最古参機です。(ちなみにNより後に導入されたPもすでに引退しています)
2007年8月18日から就航している機体なので今年で11年目です。
おそらく引退が一番近い機体ですが、スカイマークでの人生(飛行機生?)を最後まで全うすることを願っています。ガンバレ!
ってなことを考えていると、もう一機飛んできました。
こちらは737‐700です。
機体番号は「JA12AN」。
ANなので元全日空(エアニッポン)から移籍してきた機体ですね。
夕日に照らされもう一機飛んできました。
ソラシドエアでした。那覇から到着。こちらも全日空とのコードシェア便。
たった15分で一気ににぎやかになった夕暮れの神戸空港です。
さて、たくさん飛行機をみれて満足したので帰ることにします。(本当は寒さに耐えられなくなったから)
ポートライナーの最後尾の座席に座りぼーっと前を見つめていると、明石海峡大橋がきれいに見えました。
二十数回は神戸空港に訪れたことがありますが、こんなきれいに見えるとは…。
恥ずかしながら知りませんでした。
瀬戸内の海に浮かぶ世界最長の吊り橋の壮大な曲線美を堪能しました。
充実した旅もこれでおしまい。
最初に書いたこの旅のテーマは覚えていますか?(笑)
実は「乗り物の町神戸」というテーマで旅をしてきたんですよね。
はたして神戸は乗り物の町でしたでしょうか?
振り返ってみると、現役の新幹線を見たところからこの旅は始まり、D51機関車や神戸市電そしてミュージアムでは過去のたくさんの名車たちを堪能しました。さらには川崎重工で製造中の車両をみたり、神戸港で建造中の潜水艦もちらっと見えたりもしました。
つまり
神戸は過去の車両を大切に保存し、現在は陸・海・空の様々な乗り物が活躍し、
そして未来の乗り物を生み出すまちということが言えるでしょう。
十分乗り物の町といっていいのではないでしょうか。
最後に
総評 『神戸街めぐり1dayクーポン』
今回の旅の
- お得度 :★★★★
- 満足度 :★★★★
- 難易度 :★★★★
- おすすめ度:★★★★
最初には書きませんでしたが、『神戸街めぐり1dayクーポン』は関西の各鉄道会社から往復きっぷのついた拡大版も発売されています。今回の旅で使用したのは神戸エリア版950円のきっぷです。観光クーポンだけで700円ついてるということは、残りの250円で神戸エリアが乗り放題ということです。250円で乗り放題ですよ!このきっぷは簡単に元が取れてしまいますね。このブログでも書いた『歩くまち京都レールきっぷ』よりはるかにお得だと思います。
結論
神戸街めぐり1dayクーポンは神戸市内の観光にかなりお得!
最後までお読みいただきありがとうございました。
END