大阪・兵庫保存車両めぐり 後編 2018
大阪・兵庫保存車両めぐり 前編のつづき…
後編では6車両をご紹介します。
東淀川区菅原天満宮公園 「DF50‐4」
摂津の新幹線公園の次に訪れるのは、東淀川区にある菅原天満宮公園のDF50。
新幹線公園からは府道16号線で約20分。自転車です。
徒歩なら阪急淡路駅から約20分ほど。
DF50は全国に3両現存し、ここ以外に四国鉄道文化館(DF50‐1)と津山まなびの鉄道館(DF50‐18)に保存されています。
府道16号線から一筋入ったところに保存されています。
透明の倉庫に入っています。ただ何も知らなかったら通り過ぎてしまうと思います。
DF50は昭和32年(1957年)に蒸気機関車にかわる本格的なディーゼル機関車として登場し昭和38年(1963年)までに138両が製造されました。北海道を除く、日本各地の非電化亜幹線と一部非電化幹線で特急列車から貨物列車まで幅広く運用されました。特にトンネルの多い路線では、蒸気機関車の煤煙から解放される無煙化の効果が大きかったようです。
エンジンは、当時の新三菱重工がスイスのスルザー社と技術提携して製造した直列8気筒直噴式搭載した基本番台と、川崎重工と日立製作所がそれぞれ西ドイツのMAN社と技術提携して製造したV型12気筒予燃焼室式を搭載した500番台がありました。
この機関車は昭和32年から23年間山陰・北陸・篠ノ井・中央・紀勢本線で228万キロ走り続け、非電化区間の無煙化に大いに貢献しました。
写真左は、単線区間において正面衝突を防止する「タブレット」を走行したままで受け取る機器。
訪れた日には車両側面にブルーシートが被せてありました。
東淀川区東淡路南公園 「EH10‐61」
菅原天満宮公園のDF50から1キロ圏内にもう一台貴重な保存車両があります。
先ほどの菅原天満宮公園から自転車で約10分。
こちらも住宅街の公園にひっそりと保存されています。
出ました!
国鉄史上最大級の電気機関車である「EH10」。保存車両は全国でここだけ!
その巨体から‘‘マンモス‘‘もしくは塗装から‘‘クマバチ‘‘の愛称で親しまれていました。
このEH10‐61は昭和32年6月22日に東芝で落成し昭和57年2月4日に廃車になるまで367万キロ走り続けました。
現在は鳥かごのように厳重に保存されています。
EH10は、昭和30年東海道本線米原電化に際し、関ケ原の10‰(パーミル)の勾配を当時最新鋭の貨物用電気機関車であったEF15形をもってしても、1,200t貨車牽引を想定すると出力不足のため運行できないことを解決するために開発されました。
先ほど(前編)でみたEF15形とほぼ同性能の主電動機を8個使用する、日本では前代未聞の8動軸式大型機関車となりました。
2車体間は永久連結器で結合され、金属製の特殊な貫通幌と高圧引き通し線が渡されています。全長がこれまでの機関車以上に長くなったことから、構内有効長における機関車占用長さを少しでも減らすために、従来の貨物用電気機関車で標準的であった前頭部のデッキは廃され非貫通構造となりました。
1959年には、汐留~梅田間に設定された初のコンテナ特急貨物「たから号」の牽引役にも抜擢された経歴もあります。
公園側は少し高くなっており、まるで駅のプラットホームに入線しているかのような保存になっています。
阪急淡路駅 高架化工事
EH10を見た後、阪急淡路駅周辺の高架化工事の進行状況を少し見物。
毎日京都線を利用しているので車内からは見ていますが、淡路駅で下車することはほぼないため車外から見るのも新鮮です。2008年の秋ごろから工事が始まったようですが用地買収などの問題で思うようには進んでいないようです。ゆっくりとしたペースで工事が進められています。
当初の予定では2017年度末の高架へ切り替え、2020年の全体完成で計画されていましたが、用地取得が遅れていることから、完成時期を7年遅らせて、2024年度末の高架切り替え、2027年度末の全体完成となるようです。
高架後の「淡路駅」は、4層構造の島式2面4線の高架駅になる予定です。駅の高さは約30mになります。
下りと(4階)と上り(3階)が立体交差になり淡路駅のネックだった頻発する信号待ちは解消される予定だそう。
そうなんですよねー。京都線名物‘‘淡路での信号待ち‘‘。
(※ここからしばらく淡路の信号待ちに対する不満?を述べるので保存車両を見に来ただけという人は読みとばしてくださいねww)
上り(河原町方面)の場合は、淡路の信号で多少遅れても河原町までで回復運転が可能なので遅れはほぼ関係ありません。
問題は下り(梅田方面)。河原町から来る特急(快速急行・通勤特急)に乗っている場合、たいてい淡路手前で徐行運転になります。それが淡路での信号待ちによるものなのです。淡路駅は構造的に千里線と京都本線が上り下りの双方で立体交差しているのでどちらかが遅れると必然的に全体的に影響します。
ここでの遅れの何が問題なのかというと、ここでの遅延が十三での乗り換えに大きく響くということです。淡路から十三までの所用時間は約5分。ここで遅延すると回復運転は、ほぼできません。そのため十三での神戸線・宝塚線の乗り換えに大きく影響します。京都線の特急の客は十三で半分以上が下り神戸・宝塚線に乗り換えます。
十三での神戸線の特急・宝塚線の急行の乗り換え時間は双方とも3分です。淡路駅で遅れると、この3分の乗り換えが厳しくなります。特に京都線(6号線)から神戸線(1号線三宮行き)は端と端のため3分でも少し足りないぐらいです。だから淡路駅の信号が重要なのです。十三到着がどれくらいの頻度で遅れるかというとほぼ2分の1。2回に1回は遅れます。特に夕方のラッシュ時など。まだまだこのネタで書けますが長くなるのでこの辺で止めておきます。別に違う記事でこのことを書こうかなww
ハナシを元に戻して…結局的に何が言いたいのかというと、高架化で淡路での信号待ちをなくすことにより余裕をもって十三で乗り換えれるようになるということです。
利用者としては早期の高架化を望んでいますが、事故が起きては元も子もないので安全第一で工事を進めてくださることを願っています。
まだまだ高架化には時間がかかるみたいですが、長い目で見守らせていただきます。
尼崎市大物公園
次に訪れる車両が眠っているのは兵庫県尼崎市。大物公園の「デゴイチ」を見に行きます。
淡路駅からは約10㎞。自転車で約1時間ぐらいでした。
周囲はしっかりとフェンスで囲まれています。
昭和48年(1973)6月9日から公開されています。
設置理由は、当時の市内各所の子ども会から蒸気機関車がほしいという要望が寄せられ、市が国鉄と交渉した結果、D51型蒸気機関車が無償で永久貸与されることになりました。
この「D51-8」は昭和11年に川崎車両で製造されたものです。九州大里・鳥栖・熊本・吉松・厚狭機関区に配属され、昭和45年12月まで活躍しました。延べ走行距離は241万キロメートルでした。貸与に先立ち、国鉄鷹取工場で約1か月間整備が行なわれたそうです。
4月~11月の第3日曜日に公開されている模様。
「ナメクジ」と呼ばれる初期型です。
尼崎市蓬川公園
デゴイチを見た後、そのまま2号線を進みます。
阪神国道線という路線はご存知ですか。
阪神国道線とは、かつて大阪市の野田駅から神戸市の東神戸駅までを結んでいた阪神電気鉄道(阪神電鉄)が運営していた路面電車です。
国道線は、一本の軌道路線としては日本最長の路線でした。野田 - 東神戸間で約2時間を要するため、通しで乗る人はほぼおらず、阪神本線の補完的役割を持つ路線でした。
県内の保存車両はここ蓬川公園と水明公園(後に記述)に保存されている2両のみです。
滋賀県にも保存車両があるようです。
公園の端っこにひっそりと保存されていました。
尼崎市水明公園
先ほどの蓬川公園から自転車で約10分。
ボートレース尼崎そばの公園にもう一両保存されています。
こちらは公園の目立つ位置に保存されています。
この日は管理人?らしき人が中にいました。車内は倉庫兼集会所のような感じでした。
全高の半分が窓という外観から「金魚鉢」の愛称で親しまれました。
蓬川・水明公園の車両は色が薄いですが、本来の塗装はもっと濃かったようです。滋賀県にあるものが当時の塗装を再現したまま保存されています。
西宮市月見里公園
そのまま走り続けること30分。武庫川を超え西宮市に入ります。
場所は甲子園球場から徒歩3分の距離です。
この車両は昭和21年,日本車両製で、製造直後は広島や岡山など中国地方各地の機関区を転々としましたが、昭和26年に転入した姫路第一機関区では約20年使用され、最後は保存前提で梅小路に転属しました。
C10形の後継として、島秀雄を主務設計者として設計されました。最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用され一部では快速列車を牽引し、特急と張り合う俊足ぶりを発揮しました。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用されました。
鳥かごのようにフェンスに囲まれています。
保存状態は悪くはないですが、決して良くはないです。
まとめ
今回は茨城から西宮までに保存されている車両を巡ってきました。
前編と後編を合わせ計10車両。
D51‐158➝ワラ1形貨車➝0系21‐73➝EF15‐120➝DE50‐4
EH10‐61➝D51‐8➝阪神国道線71・74➝C11‐311
の順番で回りました。
ありがとうございました。