大阪・兵庫保存車両めぐり 前編 2018
2月某日、自転車でサイクリングがてら大阪の茨木市から兵庫の西宮市までで、保存されている鉄道車両を巡ってきました。
なぜ茨木スタートでゴールが西宮かというと、そんなに深い理由はないのですがこの区間には珍しい保存車両が多いと耳にしたという理由だけです。
本当は神戸まで走りたかったのですが西宮付近で日が暮れかけたうえ、疲れたのでそのまま輪行して帰りました。
茨木市南地区公民館 「D51-158」
まず1件目に選んだのは茨木市南地区公民館に保存されている「D51-158」。
阪急南茨木まで輪行してそこで組み立てて、ここまでやってきました。
本当は輪行風景や組み立てしているところなどを写真にとればよかったのですが、人も多く急いでいたため割愛します。
阪急南茨木から自転車で約10分で到着。
広い公園(遊具なし)に堂々と保存されています。
ちなみに頭上の高架線は吹田貨物ターミナルと大阪貨物ターミナルをつなぐ貨物専用線です。防音壁が高く地上からは列車のパンタグラフしかみえませんでした。
しっかりと屋根付き・厳重な柵に囲まれ大切に保存されています。
その甲斐あってか、保存状態は非常によく、今にも動き出しそうです。
SLの保存では車体のみの保存が定番ですが、ここは踏切や信号機さらにはポイント切り替えのレバーまで保存されています。
この「D51-158」はデゴイチの中では第2次形のいわゆる「標準形」で給水温め器を煙突の前へ出し、ちょうど枕をのせたようなスタイルです。
この機関車は昭和14年3月製造のもので、青森機関区に36年間所属していました。昭和49年11月浜田機関区を最後に引退。
地球約46周分の182万8千339kmもの距離を走り続けました。
2か月に1度ぐらいのペースで公開されているみたいです。
このデゴイチの保存場所から約200mの距離には国鉄の「ワラ1形貨車」と思われる車両も保存?されています。
台車もないため一見すると普通の倉庫にも見え、一度通り過ぎたのですが残像で何か引っかかったので引き返してみると…
おそらく貨車ではないかと思い写真を撮りました。
あまりネットなどでは紹介されていないみたいです。
しっかりと「日本国有鉄道」の銘板がありました。
茨木市には真龍寺というお寺にもデゴイチが保存されています。
本当は真龍寺にも行きたかったのですが、山間にあるためこの日はあきらめました。
摂津市新幹線公園 「0系21-73」・「EF15‐120」
2件目に訪れたのが摂津市にある新幹線公園。
場所は大阪モノレールの摂津駅と南摂津駅のほぼ中間。駅から歩いたらともに徒歩20分ぐらいかな。実際歩いてみないと分かりませんが…。
新幹線公園は、安威川とJR貨物ターミナルとの間の安威川堤防上にあり、新幹線車両と電気機関車が展示してあります。
府道2号線の安威川に架かる橋を渡ってすぐのところに案内板があります。
車が入れるような堤防ではありません。通行許可は徒歩か自転車のみです。
安威川堤防上約400mは、桜のシーズンともなると、きれいな桜のトンネルとなり、多くの人で賑わいます。
堤防沿いに急に現れました。
‘‘公園‘‘とは言いますが、2両の展示車両がメインでその他は遊具がほんの少しとトイレ・自販機のみの細長い公園となっています。
この0系(21‐73)は、昭和44年7月23日に日本車両で製造された10次車です。
16両編成の先頭車両の1号車として、東京―新大阪―博多間を昭和59年10月27日まで約532万km(地球を約133周する距離)を走り、役目を終えたのち、この新幹線公園に来ました。
2017年に塗装の塗り直しが行われたのでぴかぴかでした。
この0系の塗装を巡ってはひと悶着あったことで有名ですね。
野外展示のため定期的な塗り直しが必要ですが、専門の業者に依頼すると高額なため一般の塗装業者に依頼したところ、本来の「新幹線ブルー」とはかけ離れた水色に、くすんだような白色になってしまいました。私も写真で見ましたが、塗りなおしたばかりなのに色あせているような感じの色でした。
案の定、鉄道ファンからの苦情が相次ぎ、管理する摂津市は2016年度予算に問題の0系の再塗装費用を計上。隣で展示する電気機関車の車両の再塗装も合わせ、JR西日本の子会社に依頼し、2017年1月27日に再塗装が完了しました。
毎月第2・第4日曜日午前10時から12時まで午後2時から午後4時まで一日2回、内部公開しているみたい。なお、3月から5月の毎週日曜日、5月5日の子どもの日も同様の時間に内部公開を行っているそうです。
この時には、新幹線車両の車内はもちろんのこと運転席まで入り運転席に座ることもできます。
この角度から見ると、0系の丸さがよくわかります。
運転席です。
国鉄時代の、東京~新大阪間ひかり号は運転士2人乗務がきほんでした。東京~新大阪間を4区間に分け①東京~三島②三島~豊橋③豊橋~米原④米原~新大阪と交代で運転していました。当時のひかりの停車駅は名古屋と京都のみでした。なので交代は運転しながらの交代でした。現在は基本的に駅でしか交代しません。
最近では近鉄のアーバンライナーが伊勢中川短絡線で走行しながらの乗務員交代を行っていましたね。今は津に停車するので行われていないようですが。
床下機器はすべて撤去されています。
そのため0系の展示では珍しく、床下に潜ることができます。
動かないと分かっていても少しコワイです(;゚Д゚)
DT200台車を間近で見ることができます。
左の写真は排障器。置き石などの障害物を弾き飛ばすものです。積雪50cmくらいまでの雪はラッセルすることができる効果があったみたいですが、雪の日の運行では車体下部に雪が付着するためラッセルすることはできても高速運転はできなかったそうです。
右の写真は車体から地面に向かって伸びているホースのようなもの。場所的にトイレの下にあったものなので、もしかしたら……ww
でも0系は垂れ流し式のトイレではないので、いったい何なのでしょうか?
0系29次車まで取り付けられていた「側非常口」。
万が一の脱出用として、2等車・1等車の車体中央下部(山・海側両方)に非常口が設けられていました。単に非常時の脱出用のみならず、異常時の換気も想定されていた模様。
連結側の後部。
室内は新幹線開業当時からおなじみの転換クロスシートです。
デッキ部分です。冷水器が見てとれます。
故マザー・テレサさんが来日して新幹線に乗車し冷水機の水を飲んだ際に、紙コップを使い捨てにするのはもったいないとして、丁寧に持ち帰った話は有名ですね。
機械遺産とは歴史に残る機械を日本機械学会が認定する制度で同学会創立110周年を記念して設けられました。2007年8月に第1回の認定25件が表彰され、0系は国産旅客機YS-11・マツダのロータリーエンジン・豊田佐吉が発明した自動織機などとともに選ばれました。
0系の後ろにはEF15型電気機関車が保存されています。
戦後以降の国鉄を代表する機関車です。
この車両は昭和29年9月7日に三菱重工業によって製造され東海道本線、高崎線で貨物用として働き、昭和45年より昭和58年1月に廃車されるまで阪和線、紀勢線で紀州特産のみかん輸送等に活躍していました。
同時期に製造された旅客用のEF58とは、台車・主要機器類は双方とも共通化されており、特に動台車枠部分の設計は完全共通化されていました。
違いは車体・先台車・歯車比・最大許容速度などが異なっているのが目に付く程度でした。EF58の初期型(31号機まで)とは見た目も似ていました。
要は、貨物用のEF15形 旅客用のEF58形ということです。
機関車特有のがっしりとした台車。
EFということで動輪はぜんぶで6軸となっています。
機械室と運転席を仕切るドアや壁が木なので、なんとも言えない渋い雰囲気を醸し出しています。
デッキに上ることができるように階段が設けられています。
電気機関車も0系と同じように公開日には運転席に入ることができます。
新幹線公園のある安威川堤防を進んでいくと、新幹線の鳥飼車両基地が見えてきます。
当車両基地の西側を通っている大阪高速鉄道大阪モノレール線の建設計画が具体化する以前、摂津市は博多南線と同様に当車両基地を旅客利用できるようJR東海に要望したことがありましたが、認められなかったというエピソードがあります。
また堤防の反対側の道路の歩道からは、営業中の新幹線がものすごく近くで見れます。
たった3m先を250㎞/hで通過していく新幹線は迫力満点です。
幻?の0系
摂津市の隣の吹田市にも0系がひっそりと眠っているのはご存知でしょうか。JR岸辺駅北口から吹田方面に1kmほどの場所、吹田操車場跡地に保存されています。2009年、吹田市は昨年の12月のラストランで走った車両をJR西日本から無償譲渡してもらいました。鉄道博物館を建設しそこで展示する計画もありましたが、市長の交代などでうまくいかず、長らく放置されたままでした。移送費などを含めすでに4000万円もの税金をかけました。活用方法に困った吹田市はJR西側に返却を打診したが、あえなく断られたそう。結局、吹田操車場跡地に建設予定(2019年末完成)の図書館に保存されることで落ち着くそうです。
いわゆる‘‘大人の事情‘‘でいろいろ揉めたみたいですが、完成した図書館で0系に会えることを楽しみに待つことにしましょう。
後編では…
を主に巡っていきたいと思います。
大阪・兵庫保存車両めぐり 後編につづく…