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大阪・兵庫保存車両めぐり 後編 2018

大阪・兵庫保存車両めぐり 前編のつづき…

後編では6車両をご紹介します。

東淀川区菅原天満宮公園 「DF50‐4」

摂津の新幹線公園の次に訪れるのは、東淀川区にある菅原天満宮公園のDF50。

新幹線公園からは府道16号線で約20分。自転車です。

徒歩なら阪急淡路駅から約20分ほど。

DF50は全国に3両現存し、ここ以外に四国鉄道文化館(DF50‐1)と津山まなびの鉄道館(DF50‐18)に保存されています。

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府道16号線から一筋入ったところに保存されています。

透明の倉庫に入っています。ただ何も知らなかったら通り過ぎてしまうと思います。

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すぐ隣には菅原天満宮と菅原天満宮公園があります。

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DF50は昭和32年(1957年)に蒸気機関車にかわる本格的なディーゼル機関車として登場し昭和38年(1963年)までに138両が製造されました。北海道を除く、日本各地の非電化亜幹線と一部非電化幹線で特急列車から貨物列車まで幅広く運用されました。特にトンネルの多い路線では、蒸気機関車の煤煙から解放される無煙化の効果が大きかったようです。

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エンジンは、当時の新三菱重工がスイスのスルザー社と技術提携して製造した直列8気筒直噴式搭載した基本番台と、川崎重工日立製作所がそれぞれ西ドイツのMAN社と技術提携して製造したV型12気筒予燃焼室式を搭載した500番台がありました。

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この機関車は昭和32年から23年間山陰・北陸・篠ノ井・中央・紀勢本線で228万キロ走り続け、非電化区間無煙化に大いに貢献しました。

写真左は、単線区間において正面衝突を防止する「タブレット」を走行したままで受け取る機器。

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訪れた日には車両側面にブルーシートが被せてありました。

東淀川区東淡路南公園 「EH10‐61」

菅原天満宮公園のDF50から1キロ圏内にもう一台貴重な保存車両があります。

先ほどの菅原天満宮公園から自転車で約10分。

こちらも住宅街の公園にひっそりと保存されています。

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出ました!

国鉄史上最大級の電気機関車である「EH10」。保存車両は全国でここだけ!

その巨体から‘‘マンモス‘‘もしくは塗装から‘‘クマバチ‘‘の愛称で親しまれていました。

このEH10‐61は昭和32年6月22日に東芝で落成し昭和57年2月4日に廃車になるまで367万キロ走り続けました。

現在は鳥かごのように厳重に保存されています。f:id:lifeisjourney-k-s:20180203145436j:plain

EH10は、昭和30年東海道本線米原電化に際し、関ケ原の10‰(パーミル)の勾配を当時最新鋭の貨物用電気機関車であったEF15形をもってしても、1,200t貨車牽引を想定すると出力不足のため運行できないことを解決するために開発されました。f:id:lifeisjourney-k-s:20180203145507j:plain

先ほど(前編)でみたEF15形とほぼ同性能の主電動機を8個使用する、日本では前代未聞の8動軸式大型機関車となりました。

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2車体間は永久連結器で結合され、金属製の特殊な貫通幌と高圧引き通し線が渡されています。全長がこれまでの機関車以上に長くなったことから、構内有効長における機関車占用長さを少しでも減らすために、従来の貨物用電気機関車で標準的であった前頭部のデッキは廃され非貫通構造となりました。

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1959年には、汐留~梅田間に設定された初のコンテナ特急貨物「たから号」の牽引役にも抜擢された経歴もあります。

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公園側は少し高くなっており、まるで駅のプラットホームに入線しているかのような保存になっています。

阪急淡路駅 高架化工事

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EH10を見た後、阪急淡路駅周辺の高架化工事の進行状況を少し見物。

毎日京都線を利用しているので車内からは見ていますが、淡路駅で下車することはほぼないため車外から見るのも新鮮です。2008年の秋ごろから工事が始まったようですが用地買収などの問題で思うようには進んでいないようです。ゆっくりとしたペースで工事が進められています。

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当初の予定では2017年度末の高架へ切り替え、2020年の全体完成で計画されていましたが、用地取得が遅れていることから、完成時期を7年遅らせて、2024年度末の高架切り替え、2027年度末全体完成となるようです。

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高架後の「淡路駅」は、4層構造の島式2面4線の高架駅になる予定です。駅の高さは約30mになります。
下りと(4階)と上り(3階)が立体交差になり淡路駅のネックだった頻発する信号待ちは解消される予定だそう。

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そうなんですよねー。京都線名物‘‘淡路での信号待ち‘‘。

(※ここからしばらく淡路の信号待ちに対する不満?を述べるので保存車両を見に来ただけという人は読みとばしてくださいねww)

上り(河原町方面)の場合は、淡路の信号で多少遅れても河原町までで回復運転が可能なので遅れはほぼ関係ありません。

問題は下り(梅田方面)。河原町から来る特急(快速急行通勤特急)に乗っている場合、たいてい淡路手前で徐行運転になります。それが淡路での信号待ちによるものなのです。淡路駅は構造的に千里線と京都本線が上り下りの双方で立体交差しているのでどちらかが遅れると必然的に全体的に影響します。

ここでの遅れの何が問題なのかというと、ここでの遅延が十三での乗り換えに大きく響くということです。淡路から十三までの所用時間は約5分。ここで遅延すると回復運転は、ほぼできません。そのため十三での神戸線宝塚線の乗り換えに大きく影響します。京都線の特急の客は十三で半分以上が下り神戸・宝塚線に乗り換えます。

十三での神戸線特急宝塚線急行の乗り換え時間は双方とも3分です。淡路駅で遅れると、この3分の乗り換えが厳しくなります。特に京都線(6号線)から神戸線(1号線三宮行き)は端と端のため3分でも少し足りないぐらいです。だから淡路駅の信号が重要なのです。十三到着がどれくらいの頻度で遅れるかというとほぼ2分の1。2回に1回は遅れます。特に夕方のラッシュ時など。まだまだこのネタで書けますが長くなるのでこの辺で止めておきます。別に違う記事でこのことを書こうかなww

ハナシを元に戻して…結局的に何が言いたいのかというと、高架化で淡路での信号待ちをなくすことにより余裕をもって十三で乗り換えれるようになるということです。

 

利用者としては早期の高架化を望んでいますが、事故が起きては元も子もないので安全第一で工事を進めてくださることを願っています。

まだまだ高架化には時間がかかるみたいですが、長い目で見守らせていただきます。

尼崎市大物公園

次に訪れる車両が眠っているのは兵庫県尼崎市。大物公園の「デゴイチ」を見に行きます。

淡路駅からは約10㎞。自転車で約1時間ぐらいでした。

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周囲はしっかりとフェンスで囲まれています。

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昭和48年(1973)6月9日から公開されています。

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設置理由は、当時の市内各所の子ども会から蒸気機関車がほしいという要望が寄せられ、市が国鉄と交渉した結果、D51型蒸気機関車が無償で永久貸与されることになりました。

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この「D51-8」は昭和11年に川崎車両で製造されたものです。九州大里・鳥栖・熊本・吉松・厚狭機関区に配属され、昭和45年12月まで活躍しました。延べ走行距離は241万キロメートルでした。貸与に先立ち、国鉄鷹取工場で約1か月間整備が行なわれたそうです。

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4月~11月の第3日曜日に公開されている模様。

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「ナメクジ」と呼ばれる初期型です。

尼崎市蓬川公園

デゴイチを見た後、そのまま2号線を進みます。

阪神国道線という路線はご存知ですか。

阪神国道線とは、かつて大阪市野田駅から神戸市の東神戸駅までを結んでいた阪神電気鉄道(阪神電鉄)が運営していた路面電車です。

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国道線は、一本の軌道路線としては日本最長の路線でした。野田 - 東神戸間で約2時間を要するため、通しで乗る人はほぼおらず、阪神本線の補完的役割を持つ路線でした。

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県内の保存車両はここ蓬川公園と水明公園(後に記述)に保存されている2両のみです。

滋賀県にも保存車両があるようです。

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公園の端っこにひっそりと保存されていました。

尼崎市水明公園

先ほどの蓬川公園から自転車で約10分。

ボートレース尼崎そばの公園にもう一両保存されています。

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こちらは公園の目立つ位置に保存されています。

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この日は管理人?らしき人が中にいました。車内は倉庫兼集会所のような感じでした。

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全高の半分が窓という外観から「金魚鉢」の愛称で親しまれました。

蓬川・水明公園の車両は色が薄いですが、本来の塗装はもっと濃かったようです。滋賀県にあるものが当時の塗装を再現したまま保存されています。

 西宮市月見里公園

そのまま走り続けること30分。武庫川を超え西宮市に入ります。

場所は甲子園球場から徒歩3分の距離です。

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この車両は昭和21年,日本車両製で、製造直後は広島や岡山など中国地方各地の機関区を転々としましたが、昭和26年に転入した姫路第一機関区では約20年使用され、最後は保存前提で梅小路に転属しました。

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C10形の後継として、島秀雄を主務設計者として設計されました。最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用され一部では快速列車を牽引し、特急と張り合う俊足ぶりを発揮しました。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用されました。

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鳥かごのようにフェンスに囲まれています。

保存状態は悪くはないですが、決して良くはないです。

まとめ

今回は茨城から西宮までに保存されている車両を巡ってきました。

前編と後編を合わせ計10車両。

D51‐158➝ワラ1形貨車➝0系21‐73➝EF15‐120➝DE50‐4
EH10‐61➝D51‐8➝阪神国道線71・74➝C11‐311 

の順番で回りました。

 

次は京都府滋賀県も回ってみたいです。

 

ありがとうございました。

大阪・兵庫保存車両めぐり 前編 2018 

 2月某日、自転車でサイクリングがてら大阪の茨木市から兵庫の西宮市までで、保存されている鉄道車両を巡ってきました。

なぜ茨木スタートでゴールが西宮かというと、そんなに深い理由はないのですがこの区間には珍しい保存車両が多いと耳にしたという理由だけです。

本当は神戸まで走りたかったのですが西宮付近で日が暮れかけたうえ、疲れたのでそのまま輪行して帰りました。

茨木市南地区公民館 「D51-158

まず1件目に選んだのは茨木市南地区公民館に保存されている「D51-158」。

阪急南茨木まで輪行してそこで組み立てて、ここまでやってきました。

本当は輪行風景や組み立てしているところなどを写真にとればよかったのですが、人も多く急いでいたため割愛します。

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阪急南茨木から自転車で約10分で到着。

広い公園(遊具なし)に堂々と保存されています。

ちなみに頭上の高架線は吹田貨物ターミナルと大阪貨物ターミナルをつなぐ貨物専用線です。防音壁が高く地上からは列車のパンタグラフしかみえませんでした。

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しっかりと屋根付き・厳重な柵に囲まれ大切に保存されています。

その甲斐あってか、保存状態は非常によく、今にも動き出しそうです。

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SLの保存では車体のみの保存が定番ですが、ここは踏切や信号機さらにはポイント切り替えのレバーまで保存されています。

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この「D51-158」はデゴイチの中では第2次形のいわゆる「標準形」で給水温め器を煙突の前へ出し、ちょうど枕をのせたようなスタイルです。

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この機関車は昭和14年3月製造のもので、青森機関区に36年間所属していました。昭和49年11月浜田機関区を最後に引退。

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地球約46周分の182万8千339kmもの距離を走り続けました。

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2か月に1度ぐらいのペースで公開されているみたいです。

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このデゴイチの保存場所から約200mの距離には国鉄の「ワラ1形貨車」と思われる車両も保存?されています。

台車もないため一見すると普通の倉庫にも見え、一度通り過ぎたのですが残像で何か引っかかったので引き返してみると…

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おそらく貨車ではないかと思い写真を撮りました。

あまりネットなどでは紹介されていないみたいです。

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しっかりと「日本国有鉄道」の銘板がありました。

 

茨木市には真龍寺というお寺にもデゴイチが保存されています。
本当は真龍寺にも行きたかったのですが、山間にあるためこの日はあきらめました。

摂津市新幹線公園 「0系21-73」・「EF15‐120」

2件目に訪れたのが摂津市にある新幹線公園。

場所は大阪モノレール摂津駅と南摂津駅のほぼ中間。駅から歩いたらともに徒歩20分ぐらいかな。実際歩いてみないと分かりませんが…。

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新幹線公園は、安威川JR貨物ターミナルとの間の安威川堤防上にあり、新幹線車両と電気機関車が展示してあります。

府道2号線の安威川に架かる橋を渡ってすぐのところに案内板があります。

車が入れるような堤防ではありません。通行許可は徒歩か自転車のみです。

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安威川堤防上約400mは、桜のシーズンともなると、きれいな桜のトンネルとなり、多くの人で賑わいます。

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堤防沿いに急に現れました。

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‘‘公園‘‘とは言いますが、2両の展示車両がメインでその他は遊具がほんの少しとトイレ・自販機のみの細長い公園となっています。

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この0系(21‐73)は、昭和44年7月23日に日本車両で製造された10次車です。

16両編成の先頭車両の1号車として、東京―新大阪―博多間を昭和59年10月27日まで約532万km(地球を約133周する距離)を走り、役目を終えたのち、この新幹線公園に来ました。

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2017年に塗装の塗り直しが行われたのでぴかぴかでした。

この0系の塗装を巡ってはひと悶着あったことで有名ですね。

野外展示のため定期的な塗り直しが必要ですが、専門の業者に依頼すると高額なため一般の塗装業者に依頼したところ、本来の「新幹線ブルー」とはかけ離れた水色に、くすんだような白色になってしまいました。私も写真で見ましたが、塗りなおしたばかりなのに色あせているような感じの色でした。

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案の定、鉄道ファンからの苦情が相次ぎ、管理する摂津市は2016年度予算に問題の0系の再塗装費用を計上。隣で展示する電気機関車の車両の再塗装も合わせ、JR西日本の子会社に依頼し、2017年1月27日に再塗装が完了しました。

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毎月第2・第4日曜日午前10時から12時まで午後2時から午後4時まで一日2回、内部公開しているみたい。なお、3月から5月の毎週日曜日、5月5日の子どもの日も同様の時間に内部公開を行っているそうです。

この時には、新幹線車両の車内はもちろんのこと運転席まで入り運転席に座ることもできます。

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この角度から見ると、0系の丸さがよくわかります。

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運転席です。

国鉄時代の、東京~新大阪間ひかり号は運転士2人乗務がきほんでした。東京~新大阪間を4区間に分け①東京~三島②三島~豊橋豊橋米原米原~新大阪と交代で運転していました。当時のひかりの停車駅は名古屋と京都のみでした。なので交代は運転しながらの交代でした。現在は基本的に駅でしか交代しません。

最近では近鉄アーバンライナーが伊勢中川短絡線で走行しながらの乗務員交代を行っていましたね。今は津に停車するので行われていないようですが。

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床下機器はすべて撤去されています。

そのため0系の展示では珍しく、床下に潜ることができます。

動かないと分かっていても少しコワイです(;゚Д゚)

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DT200台車を間近で見ることができます。

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左の写真は排障器置き石などの障害物を弾き飛ばすものです。積雪50cmくらいまでの雪はラッセルすることができる効果があったみたいですが、雪の日の運行では車体下部に雪が付着するためラッセルすることはできても高速運転はできなかったそうです。

右の写真は車体から地面に向かって伸びているホースのようなもの。場所的にトイレの下にあったものなので、もしかしたら……ww

でも0系は垂れ流し式のトイレではないので、いったい何なのでしょうか?

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0系29次車まで取り付けられていた「側非常口」。

万が一の脱出用として、2等車・1等車の車体中央下部(山・海側両方)に非常口が設けられていました。単に非常時の脱出用のみならず、異常時の換気も想定されていた模様。

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連結側の後部。

f:id:lifeisjourney-k-s:20180203143601j:plain室内は新幹線開業当時からおなじみの転換クロスシートです。

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デッキ部分です。冷水器が見てとれます。

マザー・テレサさんが来日して新幹線に乗車し冷水機の水を飲んだ際に、紙コップを使い捨てにするのはもったいないとして、丁寧に持ち帰った話は有名ですね。

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機械遺産とは歴史に残る機械を日本機械学会が認定する制度で同学会創立110周年を記念して設けられました。2007年8月に第1回の認定25件が表彰され、0系は国産旅客機YS-11マツダロータリーエンジン豊田佐吉が発明した自動織機などとともに選ばれました。

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0系の後ろにはEF15型電気機関車が保存されています。

戦後以降の国鉄を代表する機関車です。

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この車両は昭和29年9月7日に三菱重工業によって製造され東海道本線高崎線で貨物用として働き、昭和45年より昭和58年1月に廃車されるまで阪和線紀勢線紀州特産のみかん輸送等に活躍していました。

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同時期に製造された旅客用のEF58とは、台車・主要機器類は双方とも共通化されており、特に動台車枠部分の設計は完全共通化されていました。
違いは車体・先台車・歯車比・最大許容速度などが異なっているのが目に付く程度でした。EF58の初期型(31号機まで)とは見た目も似ていました。

要は、貨物用EF15形   旅客用EF58形ということです。

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機関車特有のがっしりとした台車。

EFということで動輪はぜんぶで6軸となっています。

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機械室と運転席を仕切るドアや壁が木なので、なんとも言えない渋い雰囲気を醸し出しています。

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デッキに上ることができるように階段が設けられています。

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電気機関車も0系と同じように公開日には運転席に入ることができます。

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新幹線公園のある安威川堤防を進んでいくと、新幹線の鳥飼車両基地が見えてきます。

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車両基地の西側を通っている大阪高速鉄道大阪モノレール線の建設計画が具体化する以前、摂津市博多南線と同様に当車両基地を旅客利用できるようJR東海に要望したことがありましたが、認められなかったというエピソードがあります。

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また堤防の反対側の道路の歩道からは、営業中の新幹線がものすごく近くで見れます。

たった3m先を250㎞/hで通過していく新幹線は迫力満点です。

 

幻?の0系

摂津市の隣の吹田市にも0系がひっそりと眠っているのはご存知でしょうか。JR岸辺駅北口から吹田方面に1kmほどの場所、吹田操車場跡地に保存されています。2009年、吹田市は昨年の12月のラストランで走った車両をJR西日本から無償譲渡してもらいました。鉄道博物館を建設しそこで展示する計画もありましたが、市長の交代などでうまくいかず、長らく放置されたままでした。移送費などを含めすでに4000万円もの税金をかけました。活用方法に困った吹田市はJR西側に返却を打診したが、あえなく断られたそう。結局、吹田操車場跡地に建設予定(2019年末完成)の図書館に保存されることで落ち着くそうです。

いわゆる‘‘大人の事情‘‘でいろいろ揉めたみたいですが、完成した図書館で0系に会えることを楽しみに待つことにしましょう。

 

後編では…

を主に巡っていきたいと思います。

 

大阪・兵庫保存車両めぐり 後編につづく…

 

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館 おまけ編

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館①~③までは京都鉄道博物館の内部を紹介してきました。

このおまけ編では、梅小路公園内に保存されている京都市電を少し紹介します。

市電ひろば

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梅小路公園内にはかつて京都中を走っていた京都市電の車両が数台保存展示されています。

その中でも2014年に「市電ひろば」というカフェ&ショップ&休憩所が設けられました。

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車両前の地面のタイルにはかつての路線図が描かれています。

結構興味深く、見とれてしまうぐらいでした。

地面を見ながらうろうろしている姿は傍から見ると変人だったかな(。-`ω-)

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個人的には西大路通りを走っていた西大路線なんかは今でも需要があるのではないかなと思います。

特に西大路四条(阪急西院)~金閣寺の間は海外の方からの需要が高いのではないでしょうか。現在はバス(205・202系統)しかありませんが、いつみても混んでいるので、今なら走らせる価値があるのでは?

 

ここ梅小路公園に保存されている車両は、京都市交通局で非公開で保管されていましたが、梅小路公園再整備に伴い移設されました。

様々な形式が保存されているので、ちょっと紹介します。

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505号車1924年に登場し全路線で営業運転を開始。1928年11月の昭和天皇の即位の御大典輸送において、拝観客輸送の主役を務めたことで有名です。現在は「市電カフェ」として営業しており、吊り革型のパンなどのオリジナルメニューが販売されています。

703号車=1958年から1962年にかけてナニワ工機(現アルナ車両)などで当時残存していた200形・300形単車を置き換えるために48両が製造されました。現在は鉄道グッズショップとなっています。

890号車=1950年から1955年にかけて90両が製造。車体は600形を12m級に引き延ばした形をしています。現在は休憩所となっています。

1605号車=1937年から1942年にかけて95両が製造。全路線で営業運転し、流線型の美しい車体とグリーン基調の塗色は市民を瞠目させ、「青電」のニックネームで親しまれました。こちらも、現在は休憩所となっています。

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雰囲気のあるレトロな車内です。

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2001号車=1964年より新造され、京都市電の全廃を待たずして1977年9月に全車廃車となりましたが、本形式のうち5両が伊予鉄道へ譲渡され、モハ2000形電車として現在も走っています。

935号車=1955年から1957年にかけて35両が製造。外観上は800形に比べて重厚で貫禄があり、なおかつ鈍重でないという、600形から始まる京都市電スタイルのひとつの頂点に立つ美しい車両です。

 

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館 まとめ

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館①~③・おまけ編を振り返って…

そもそも、なぜこのようにしてブログで紹介してきたのかというと、京都鉄道博物館を紹介したものはたくさんあるのですが、詳しく紹介したものがあまりなかったからです。私自身行く前に事前の‘‘予習‘‘としていろいろな方のブログやサイトを読ませてもらったのですが、雰囲気はつかめるけど詳しく知りたい人向けのものがありませんでした。その展示について背景知識があってみるのと、ないまま見るのでは、楽しみ方が大きく違ってくると思います。なので今回は車両展示についてはできる限り簡潔かつ詳しく書きました。すでに訪れた方はもちろんですが、まだ行ったことのない方・遠方にお住まいで、なかなか行くことが難しい方にも楽しんでもらえるように工夫したつもりです。また実際に訪れた際、このブログを片手に館内を回っても役に立つのではと思います。おまけ編まですべて読んでいただいた方は少数だとは思いますが、これであなたも京都鉄道博物館マスタ―?になったのではないでしょうか。(なんちゃってww)まぁそれはともあれ、ここまで読んでいただきありがとうございました。今後も乗り物関係の博物館を紹介できたらと思っています。またよろしければご覧ください。

 

 

 

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館 END

 

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館③ 2018

展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館②のつづき…

 

本館3F

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本館3階の南側に設けられたスカイテラスは、京都の町並みを背景に行き交う列車を眺められるスポット。

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駅や指令所で使われている「列車情報表示装置」が設置されています。

目の前を走る在来線列車の情報が画面に表示されます。

ずっと見てられますよ。(笑)

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走ってきた700系と東寺をパチリ。

700系が東海道新幹線からいなくなる日も遠くはないので、この光景も見れなくなるんですね(´;ω;`)

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京都タワーとSLスチーム号をパチリ。

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それでは本館を出て扇形車庫に向かいます。

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本館と扇形車庫への連絡デッキの横には「SL第2検車庫」があり、蒸気機関車の検修作業風景を見学することができます。いわゆる‘‘SLの総合病院‘‘です。

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この日はC62形2号機の1年検査とC57形1号機の中間検査Aの検修中でした。

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国鉄塗装のDE10形1118号機。

梅小路ではDE10‐1118号機・1156号機・1104号機のDE10トリオが在籍しており、現役として嵯峨野観光線梅小路内の入替作業などで活躍しています。

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この博物館では毎日SLが運行されているのも大きな魅了の一つとなっています。

その名も「SLスチーム号」。開館に合わせて客車もリニューアルされました。

1日15本以上も実施されており、約500mの線路を10分で往復します。

この写真は京都タワーとSLスチーム号の迫力満点の煙を1枚にパチリ。

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どのSLが牽引するかはその日のお楽しみです。

この日は8620形8630号機が運用に入っていました。

★8620形8630号機

輸入されたSLを参考に国内で初めて本格的に量産された旅客用SLで、製造量数は670両以上。「ハチロク」の愛称で親しまれ、全国で活躍。その安定した性能から60年以上にわたって活躍しました。

扇形車庫

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現存する日本最古の鉄筋コンクリート造りの扇形車庫に、動態保存車両8両(営業運転車両3両)を含む蒸気機関車20両を保存・展示されています。

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この迫力満点の光景が見られるのもここ梅小路だけ!!

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カメラのパノラマ機能を利用して撮ってみました。

オモシロイ写真が撮れました。

 

それでは扇形車庫に入っている機関車を一両ずつ愛称とともに紹介することにします。

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①C56形160号機

1935年から製造された小型のSLで、旅客・貨物用で活躍しました。C12形をベースに設計されスタイルがよく似ています。現在も走行可能で北陸本線の「北びわこ号」などで活躍中。「ポニー」の愛称を持ちます。

D51形200号機炭水車

D51形200号機の炭水車。⑥で詳しく解説。

③C61形2号機

戦後、旅客用のSLが不足していたため、貨物用のD51形のボイラーなどを再利用して製造。地方幹線で優等列車を牽引しました。石炭を自動でボイラーに投入する装置(メカニカルストーカー)を日本で初めて採用しました。愛称は「シーロクイチ」。

④DE10形1156号機

嵯峨野観光鉄道のDE10-1104号機の予備機。一部のファンからは「デーテン」と呼ばれています。

⑤7100形7105号機「義経」号

展示車両の中で最古参となる1880年アメリカ製のSL。北海道で初の鉄道が開業するのに合わせて輸入。「義経」と名づけられ大正末期まで活躍し戦後に復元され再び自走可能になりました。

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D51形200号機

1938年製造の「デゴイチ」。長らくここ梅小路で動態保存されていましたが、2014年に本線復活が発表され3年間の整備期間を終え、11月25日から「SLやまぐち号」として営業運転を開始。翌26日にはC57 1との重連運転も実施された。2日間の復活運転を行った当機は、12月3日発で新山口から梅小路運転区へ回送され現在同区内で検査・整備中。

⑦?(名称不明)

⑧D50形140号機

大量に製造された9600形の後継機として設計。出力が大幅にアップされ、急勾配や長大編成の貨物列車でその威力を発揮しました。このD50形で培われた技術がのちのD51形の成功につながったといわれています。愛称は「デゴマル」。

⑨9600形9633号機

SLスチーム号を牽引していた「ハチロク」と同時期に量産された大正時代を代表する貨物用の蒸気機関車。愛称は「キューロク」で軽量ながら力が強く全国で活躍。末期は入れ替え用となり、国鉄では最後まで走ったSLでもあります。

D51形1号機

日本を代表する蒸気機関車デゴイチ」の貴重なトップナンバー。1号機をはじめとする初期製造の95機は上部に給水加熱器を覆うカバーが長くなっており、「ナメクジ」の愛称を持つ。22・23号機はドームがさらに運転台まで延びているため「スーパーナメクジ」と呼ばれていました。

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⑪(前)B20形10号機

工場や機関区での入替用に製造された超小型SL。戦時中に製造されたため、部品を減らすため徹底的に構造が簡略化されています。ずっと静態保存でしたが、02年に復元工事が行われ、自走できるようになりました。愛称は「豆タンク」「ピーコロ」。

⑪(後)1070形1080号機

東海道本線の新橋~神戸間で急行列車が増発されたことに伴い、イギリスから輸入されました。当初はテンダー式でしたが、のちにタンク式に大改造されました。愛称は設計会社の名前から「ネルソン」で親しまれています。

⑬C62形1号機

特急列車などの牽引で活躍した日本最大の旅客用の蒸気機関車です。ボイラーはD52形から流用。シリンダーと走行装置はC59と同じものを新造し自動給炭装置(メカニカルストーカー)も取り付けられています。「シロクニ」の愛称で知られています。

⑭C55形1号機

C54形を改良して1935年から製造された中型の旅客用蒸気機関車。途中からは一部を設計変更の上、形式をC57に変更して製造されました。車輪1つあたりの重さが比較的軽いため、全国の地方路線で重宝されました。愛称は「シゴゴ」。

⑮C58形1号機

パワーとスピードを併せ持つSLとして、1948年から400両が製造され、旅客列車・貨物列車いずれも牽引できる万能機として、北海道から沖縄まで全国で活躍しました。愛称は「シゴハチ」。

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⑯C11形64号機

老朽化した輸入SLを置き換えるためにC10型の改良機として1932年から製造されました。支線や構内入替用の小型SLで、軽量化のためボイラーの組立などに新技術を採用し以後のSL設計に大きな影響を与えました。愛称は「シーのチョンチョン」。

⑰D52形468号機

戦時中の輸送力増強のため突貫工事で製造された貨物用のSL。ボイラーが大きく、国鉄最強の出力を誇ります。デゴイチの1000tを上回る1200tの牽引力を目標に設計。物資のない中で製造されたため性能を発揮できず、のちに他形式に改造されたものも多かったようです。愛称「デゴニ」。

C59形164号機

C53形の後継機として製造された旅客用蒸気機関車でそのパワーから東海道本線をはじめ特急列車の牽引機として、主要幹線で長らく活躍しました。国産の蒸気機関車として一番の長さを誇ります。愛称は「シゴク」。

⑲C53形45号機

客室の重量が増えたことなどから機関車もパワーアップさせる必要ができたため、シリンダーを従来の2つから3つに増やしました。パワーは上がったが保守が大変なため、短命に終わりました。愛称は「シゴサン」。

⑳C51形239号機

1919年から製造された旅客用SLで、同形式の動輪の大きさやボイラーの使用がその後の国鉄SLの標準となりました。性能もよく、超特急「燕」に使用されたほか、お召列車の牽引もまかされるほど信頼されていました。愛称は「シゴイチ」。

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数台の機関車は実際に運転席に入ることができます。

レバーやメーターなど素人にはさっぱりww 勉強不足です…(-。-)

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昔の梅小路機関区のミニチュア模型。

ここ梅小路運転区の歴史をここでヒトコト。

京都~大阪の鉄道開業に備えて、1876年(明治9年)に京都駅の北西に京都機関庫が新設されました。その後、1914年(大正3年)に京都駅の改良工事が行われた際、京都機関庫は現在の梅小路に移設され、二条駅付近に設置されていた二条機関庫と統合して梅小路機関庫と改称されました。

ここの扇形車庫は現存する最古の鉄筋コンクリート造りの機関車庫として国の重要文化財指定を受けています。

オハフ50‐68

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正式な展示車両には含まれていませんがこのオハフ50‐68もれっきとした価値の高い車両です。国鉄が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977年より設計・製造された一般形客車の系列。車体の色から「レッドトレイン」の愛称を持ちます。

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中は休憩室として利用されています。車内に家庭用エアコンが設置され、裏側に配管と室外機が設置されています。もちろんですがトイレは使用不可。

北海道仕様のオハフ51形は後に客車の気動車化改造としてキハ141系気動車に生まれ変わりました。

強度構造の違いから国鉄・私鉄ともにほとんど成功例がありませんでしたが、本系列は客車としては軽量な50系客車に、新世代の軽量高回転エンジン(DMF13HS系エンジン)を組み合わせることによって、一定以上の成果を引き出しました。
4形式で合計44両が製作され、オハフ51形の2/3が本系列に改造され客車から気動車への改造車としては日本最多です。

客車から気動車に改造するなんてすごいですね。

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ここでSLスチーム号の最終便を終えて8630形が帰ってきました。

石炭と水の補給中です。

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現役の特急287系きのさき11号と100年前のSLとのコラボ。

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燃料の補充を終え、転車台に移動。

サービスで3回転ぐらいして頂きました。(^^♪

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この日は扇形車庫には入らず、ここに留置のようです。

二条駅

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二条駅舎は明治37年に建設され、現役時代は日本最古級の木造駅舎といわれていました。平成8年に京都市指定有形文化財に指定された駅舎の中には展示の他、ミュージアムショップがあります。

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SLにまつわる展示が盛りだくさん。

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数ある模型の中には特急「あじあ号」で使用されていた流線形の「パシナ形」蒸気機関車の模型と流線形が特徴的なC55‐20の模型も展示されています。

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幻のSL C63形蒸気機関車1/12模型。

日本のSLは1950年で打ち切られ、蒸気機関車を電化とディーゼルに置き換える方針だったが、幹線電化の進歩が思うように進まず、ディーゼル機関車の開発も遅れていたため、そのつなぎとして1955年に設計されました。

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製造正式決定を前に無煙化の進捗状況と機関車の需給が再検討され、現段階では蒸気機関車の製造が絶対必要とはいえないとの結論に達し、当分の間は製造を見送り情勢を見守ることになった。そしてその後すぐ交流電化及びディーゼル機関車気動車の技術が確立し、急速に電化・ディーゼル化が進むこととなり、C63形の製造決定が下されることなく幻の車両となりました。

朱色に塗られたC63 ‐1のナンバープレートが本館のエスカレーターの壁面に展示されています。

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奥にはSLの仕組みやシミュレーターもありました。

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半分はミュージアムショップになっています。

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中でも面白そうだなと思ったお土産は左の「ブレーキハンドル型のペットボトルオープナー」と右の「大回りの旅クッキー」。

ペットボトルオープナーはSNSなどで話題になっていましたね。

今度、大回り乗車をするときにはこのクッキーを片手に回ってみようかな~。

最後に…

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4時間超の見学でした。この日はあまり混んでいなかったため、じっくり堪能できました。そこそこ詳しく解説したつもりですが、実際はもっと見どころがあります。運転シミュレータやSLスチーム号などの体験などが今回はできなかったので次回は挑戦してみようと思います。

ちなみに…

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鉄道博物館の目の前では新駅が絶賛工事中です。

2019年春の開業を目指し工事を進めてるようです。

 

京都鉄道博物館がある梅小路公園にはかつての京都市電の車両が数台保存展示されている「市電ひろば」があります。

なので『展示車両全部見せます! 京都鉄道博物館おまけ編』にて少しご紹介できればと思っています。

 

 

ここまで読んで頂き大変ありがとう御座いました。

よろしければ「おまけ編」もご一読くださいませ。